しばし さらば わが故郷

親父 お袋 ありがとう

今度はいつになるのかな?

小生にとり この市場は聖地です。やはり 戦後の混乱期に 屋根裏での生活はそれも家族そろっての生活は非常に中身の濃い日常でした。この市場で生活する家族はみんな兄弟であり親戚であり すべて すべて一つの船に乗り大海原を進む小舟でした。その市場が今でも生き続けてる。今でも命の営みがある。うれしいことです。

さらば わが人生の命の源よ

 

帰りは 札幌テレビ塔に 大通り公園の真ん中に今でもひっそりとその姿が見えます。

 

この景色は いかがでしょうか 夏には公園のあちらこちらに名物のとうきびを売るおばさんのお店が 焼いたとうきびを口の中に なぜか北海道の大地のにおいがしました。

おばさん お金 これしかないんだよ 小生が出した10円玉2枚 でも でも 大丈夫だよ 食べて大きくなってねと 言ってくれたあのおばさん ありがとう

みんな みんな 家族でいたあの時 人と人がお互いいたわり 相手の目を見てすべて伝えたあの時代 人のにおいが感じました すべて人と人との心の会話がありました。

兎 追いしかの山 小鮒釣りし かの川 夢は今も廻りて 忘れ難き故郷

何処にいます父母 恙 なしや友がき 雨に風につけても 思いいずる故郷

雨に風につけても 思いいずる故郷

志を 果たして いつの日にか帰らん

 

 

今でも 変わらない故郷

 

73年ぶりに宝物を見つけた

言葉も文字もいりません

ただ 立ちすくむ小生

時間は 立ちまち 73年前にタイムスリップ

神様が見ていたんですね 鉄扉の入り口の門を すぐそばで薬局してる主がカギを探してくれて いよいよ開門です。涙がにじんできました

両側が長屋で この狭い道幅に生活道路で多くの戦後引き上げて人々の足跡が聞こえてきます

そのうち近所の人が駆け付け 話をしてくださいました。

 

両手を広げれば 真向かいのお店に手が届く距離ですが だから みんな親戚のお付き合いです。

説明してくれてるご婦人は 80代半ばで戦後のこの市場のことを知ってました。

まるでトンネルの中に長屋があり 当然 喜びも苦しみも分け合い 助け合って戦後の苦しみもみんなの協力で日々生活をしてきました。

おやじとおふくろのおかず屋はどこかなと 小生の貧しい記憶を探しましたが」答えが出てきません やはり 当時3歳の子供の記憶はどこかに ただ この場所でみんなに声をかけられ怒られて暮らしていました。

 

現在では建築不可の場所にお互い肩を寄せ合って生きてきたんですね

すべて1階はお店 そして生活寝る場所は 屋根裏です

あああ こんなところに親子で生活を。。。。。

もしかして このお店が おかず屋ですよと 指をさされた場所は現在 朝鮮料理のお店です

当然 73年の月日の間 お店もどんどん変わってますが

このお店の屋根裏に親子で住んでいたんだと思うとやはり涙が

見えるよ おやじとおふくろの姿が 聞こえるよ おやじとおふくろの声が

本当jにありがとうございました

 

市場の前で 案内をしてくださいました近所の方と記念写真を一枚 この方々がいなければ市場の門は開けることはできませんでした これも 父 母と神様のおかげです。

ありがとうございました

合掌

いよいよ  ドキドキ

狸小路だ  懐かしい 久しぶり 74年ぶりだ

帰ってきたぞ おやじ おふくろー

戦後間もないころ ベビーブームで76年前 生まれた小生

中国から 身一つで引き揚げた親父とおふくろ まずは食べるため 田舎に出かけ その日の食料を手に入れ 何とかその日暮らしの毎日 そして 両親のたくましさで縁あって狸小路におかず屋の商いを

今から74年以上前に 狸小路市場に店を開くことができた。果たして 果たして 小生の故郷はあるのだろか 74年前であるから 当然 建物も古くなり消えてるかもしれない

かすかな淡い期待をもって 一歩一歩 前進 心臓がパクパク

 

狸小路は両側が商店街が札幌市を横断するように長く伸び 戦争の空襲などの被害が合わず そのままの街並みが残ってる

市場はどちらの方向だろう

確か こちらのほうだと思うが 74年前の記憶を思い出し

両側には狸祭りののぼりが

 

途中 小生の仲間と会いました  頑張ってね

いよいよだ 残ってるのかな

えっ   えっ

もしかして

この看板は

狸小路市場だ

神様 ありました ありがとうございました

にぎやかな商店街にひっそり ひっそり 戦後77年から もしかして小生を待っていたのかもしれない

親父 おふくろ 帰ってきたぞ

見てくれ 故郷に 妻 長女 長男を連れてきたぞ

市場の両側には鉄の扉が なかには入れません

何んとか中に入ってみたいが 無理だろうな

この奥に 道幅2メータほどに両側に18軒ほどの長屋の店があった。当然食料品の店だけで なかにはどこからかわからない商品も並べられていた すべて戦争から引き揚げて住民が 食べるために日々商いを また 長屋であるので2階屋根裏は 人は住めない空間であったが 我々家族は はしごで屋根裏に 裸電球が一つぶら下がる下には 万年布団が 当然 トイレは長屋の片側に一つ それを住民 みんなで使っていた

薄い床下から 両親のお客とのやり取りが遅くまで聞こえてきたが やがて子守唄を聞いてるようになりいつしか夢の世界に

今回の旅行のきっかけは娘からの一声が始まりであった。

お父さん 今度家族で旅行に行こうよ

えっ みんなとなれば孫たちはまだ学校だろう

いや 山口家だけだよ

君たちの家族は?

大丈夫 お父さん中心でいいのよ 孫たちも一緒に行ったらお父さん楽しめないでしょう

胸に響きましたね

うれしい 子供たちの計画が今回の札幌の小生の生まれ故郷札幌の旅行になりました。なぜ 故郷なのかな やはり間もなく77歳に そして5年前に癌に そして体中の故障も また 会社を継いだ息子のおかげで一安心 そんな時に娘からの一声に 生まれ故郷を見たいと思い今回の旅行に

また 1泊目は札幌ですが2泊目は洞爺湖ですが なんと」上官殿と知り合った洞爺湖が2泊目です ありがたいですね

 

故郷 札幌で 思いがけないプレゼント

東京から2時間 到着 まずは 荷物をかたずけて

なか なか クラシックなホテル

今回の旅行は 一部屋にみんなで過ごすことに決めてました。狭い中でも家族ですのでいいです。

荷物の整理が終わった時 子供達から 我々夫婦に プレゼント

えっ?

緊張しながら包みを開けてみれば  なんと

思いがけないプレゼントだ

 

 

腰の痛みで 歩く時にも  ゆっくり ゆっくり

それを知った子供達から

健康器具

それも 片手で 痛い場所に これを当てれば

痛いの痛いの どこかに 飛んでいけ

早速 実演してみれば

ブル ブル

うわあ 最高だね

子供達からの有難いプレゼント

よし  頑張るぞ

実はこの後 今回の旅行の大きな目的地に 行くぞ

どこかな 楽しみにしてください

故郷に我々夫婦と子供達と64年ぶりの帰郷

長男 長女 そして 我々夫婦の4人で 小生の故郷に  子供達にはそれぞれの家族が当然いますが 今回は 小生の希望を子供たちが聞いてくれて 山口家だけの故郷への里帰り

さあ 羽田空港で沖縄の娘と会うことができ 出発だ

腹がすいては戦ができないと 高級魚のお弁当

 

到着 わが故郷札幌 東京へ家族で引っ越ししたのが 小生12歳の時

指で数えれば64年前 うわあ うわあ すごい大昔だ

一番の決心はこの年齢で 故郷を見れるのは今しかないとと思い 子供たち  上官殿が賛成してくれての今回の64年ぶりの里帰り

到着後の小生のうれしそうな顔

 

 

まずは北海道で食べる最初の料理は 当然お寿司です

 

ワンダフル 小さい時は高級なお寿司はどこかに飛んでいきましたが 家族で食べるお寿司は美味しいです

そのあとは レンタカーの店に

今回は2泊3日の旅行ですが子供達が順番に運転を

サア  始まるぞ

64年ぶりの故郷の思いで旅行ですが 実は今回の旅行の大きな目的があります。

その目的が達成できれば 神様 お願いします・ 合掌

次回をお楽しみに

 

靖国神社御霊祭に

昨日は靖国神社の御霊祭り

戦争で亡くなった御霊を我々がその魂に対して頭を下げる日です。

国を守るため 我々を守るため命をささげた彼らを忘れてはならぬ事です。

その日を忘れぬため 全国から慰霊者の遺族が参道の両側に提灯を奉げてます。

今日は主だった仲間と参加

久しぶりに息子と一緒に

やはり似てますね

 

弊社の提灯が飾れてる前で

10年前に一つで参加

今では 山口建設の提灯が

最初は一つからスタートしましたね

まずは彼らのおかげで存在しますね

合掌

独り言かな 新井薬師

薬師寺かな

目の病に効く 仏さまが鎮座

境内は凛として仏様様のご利益が満ち溢れてる

やはり古代から大和民族は自然崇拝から仏教 寺院と2600年の月日を経て 尚を現代まで自然の中に神々の姿を追い求め 手を合わせ 祈り ある時は神々の前で頭を垂れる民族である

 

石畳を歩く先には 眼病に効能ある仏さまが鎮座

 

新井薬師付近は 懐かしい建築物があちこちに

この木造の店は?

 

何のお店かな

指さす方向には

レコードが

ジャズの店です レコード盤でjiazuを心意気まで

やはり やはり

どんと どんと 来いよ

なんと 大将 自ら料理の説明 わかるよその気持ちが

大将が先頭に立ち お客様と会話をする その姿に亡くなった親父の姿が見えます。

親父 見てるか 聞こえてるか 親父の背中を追って頑張ってるぞ

ありがとう 親父

今日は新人との飲み会が

たちまち 情報がどこかからか漏れて立ちまち 幹部へ

うれしそうなこの笑顔に 小生もついつい

この後 お店でなんと夢の世界に

上官殿にしっかりと腕をつかまれて我が家に

朋あり遠方より来る

ご苦労さん

遠方より 電車乗り継ぎ 1時間半ほど 暑い中 本当にありがと

実は小生の高校時代の学友I氏 大手有名な出版会社に勤務 退職後 その関係の仲間と出版業を その縁で実は小生の2作品目 あなたの手のほくろ を完成まで編集長としていろいろアドバイスをもらってる

今日は早速小生の原稿をチェツク 眼光厳しく バラバラな原稿を精読する姿はあまりにも神々しく 我 頭を下げるのみ

あまりにも書斎には原稿が命があるようにあちこちに 彼はすべて順番に並べ 呼吸音がかすかに聞こえるように大事に精読

ついつい その姿に 神が降臨かな

 

ごめんね ごめんね 時間は2時間  おなかがすいたか 声をかけるのもはばかる小生

まだ 残ってる 原稿用紙に ごめんなさい

最後のチェック

時計を見れば 2時間が過ぎていた

さああ リラックスタイムだ

わがゲンちゃんが 早速 お相手 犬好きの彼も険しい顔がゆったり

 

お疲れ様 ご苦労さん

本当にダメな小生ね

でも約束するよ 76歳の熟年青春不良青年は素晴らしい恋愛小説を年内まで完成するぞ

久しぶりですね

本当に

ご無沙汰です どのぐらいの月日が とにかく パソコンがブレーキ そのパソコンも10年ぐらい前 当然 動かなくなった そして今風のパソコンのカタログを見ても ちんぷんかん

そこで すべて 息子に任せたが

なんだか指紋で開くとか わけのわからぬ道に

そして少しいじりながらたどり着いたブログ開設への到着点まで5日間

とにかく愚痴を言っても仕方がないが

まずは最初のブログは久しぶりに駅そばの居酒屋に 社員と

それも 山海鮮なる名前に惹かれ 駅ビルの地下にあるこの店に  ビルの

急な階段を地下へとそろりそろりと

お席は 椅子席ですか それともカウンター席ですかの店員の声に

当然 カウンタ席に

 

そして壁には墨で書かれた料理の名前 懐かしいね  これなら もしかして2重丸かな

うんん うん これなら

定番の刺身の盛り合わせを 妙齢の店員が刺身の種類を説明  すごいな もしかしたら大将の奥方かなと   当たりました 旦那と奥方ともう一人での居酒屋

いや  海の料理の居酒屋ですね

ついつい 居心地がよくてこの年で飲みすぎたかな

当然 心配して自宅まで送ってもらった76歳の青年です