どうでもいいことですね

最近ネット、及び新聞 そして国会まで騒がれた報道といえば解かりますね

連日前夜、この話題で大げさに言えば日本中が騒いでいました。

その中、見つけたのが下記の評論

 

ベッキーやSMAP報道 「どうでもよいこと」に使われた私たちの時間 (SankeiBiz) – Yahoo!ニュース//

13日からイタリアを訪れているが、インターネットで見ると、日本メディアの世俗的話題はタレントのベッキーさんの「不倫交際」問題と、SMAPの解散問題らしい。そんな話題は1年もたたずして忘れられるし、社会的にも目新しいことではない。しかし、「そんなこと」が、テレビを中心に国民的話題となり、石破茂地方創生担当相までが「キャンディーズの解散に匹敵する。解散してほしくない」と、SMAPの存続を希望する事態となっている。

しかも、それが通信社電として外国にまで流される。となると、この社会情報現象はタレントの人権とプライバシーという問題にとどまらず、日本社会のメディア規範(道徳)とその仕組みについて考える格好の素材となる。

ベッキーさんの問題は、4日発売の週刊誌が2人の行動を写真とともに、SNS(ソーシャル・ネットワーキング・サービス)交信内容まで入手して報道した。となると、その事実は否定はできないということになり、ベッキーさんの所属事務所は2日後の6日、記者からの質問なしとの条件で会見を設定。「ファン、関係者の皆様にご迷惑をおかけしたことを謝罪します」などと、本人にしゃべらせることになった。

芸能人やセレブ(著名人)につきまとい、私生活を撮影したりする人を「パパラッチ」(イタリア語で「うるさいハエ」)というが、ここイタリアだけではなく、欧米全体にもそうした取材法で成立しているメディアは少なくない。パパラッチで稼いだ金を、危険な戦争や難民問題の現場取材費に充てているフリーの記者たちもいる。

ただ、欧米では不倫問題などが主流メディアで取り上げられることはあまりない。セレブの性的スキャンダルなどを扱うののは、芸能専門の新聞や雑誌だけで、販売方法にも配慮がなされている。パパラッチの本場イタリアでも例外ではない。

一方で、政治や経済問題がからんでくると、ジャーナリストたちから厳しい追及を受けることになる。

たとえば、クリントン元米国大統領は女性秘書との不倫問題で騒がれ、議会の特別検証委まで設けられたが、この問題の本質は大統領執務室で「個人的行為」を行ったことにある。イタリアでも、新聞・放送業界のドンで首相を3期にわたって務めたベルルスコーニ氏のスキャンダル報道は、政治家としての資質を問うフリー記者たちの追及から始った。ベルルスコーニ氏は未成年者買春で法的に起訴され、「愛に生きるイタリア人」では済まなかったわけだ。

一方、日本の大手メディアの現場幹部は40~50代が中心で、視聴者・読者である20~30代の若い層とくに女性たちの感覚とはかけ離れている。

彼女たちの多くは冷静で、「結婚制度を壊すのはよくないが個人の恋愛は尊重されるべきだ」「ベッキーさんの問題は個人レベルのことで、報道すべきではない」という意見が多い。

「タレントに人権はあるか?」と問いへの答えは道徳的にも法律的にも「イエス」である。ベッキーさんの場合、大きく騒がれた理由の一つに、その清純派イメージを評価し多くの企業がCMに起用していたことがある。多くのファンもベッキーさんのそんなイメージに恋していた。今回の騒動は、「福山ロス」(最後の大物独身といわれた歌手の福山雅治さんの結婚ショック)にも似た、一時的ショックにすぎない。要は、ベッキーさんが個人的な恋愛によって、自らの商品価値を失っただけの話である。

名誉毀損(きそん)は、それが事実であっても当事者が知ってほしくないことだと考えれば、法的には成立し得る。メディア報道の場合、それが取材段階で真実であると信じられ、その内容に社会的公開の意義つまり公益性があれば免罪される。その意味では、ベッキーさんやSMAPに関する報道は、多くの国民の世俗的関心を高めただけで、本来私たちが有益な情報として心に刻む作業に使うべき時間が、どうでもよいことに使わせられてしまっていることにこそ問題がある。(同志社大学名誉教授、メディア・情報学者 渡辺武達(わたなべ・たけさと)/SANKEI EXPRESS)

 

 

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