シベリア抑留

日ソ不可侵条約を破り

突然のソ連の戦争参加

そして シベリアに多く兵隊が連行された。

極寒の中で日常品を作り上げた

身にまとう服、靴 帽子 手袋など

鉛筆

メガネ

作業するための道具

ラーゲリと呼ばれた収容所

材木で創り上げた住まいの壁の隙間から冷気が

当然 薄い寝具で冷気に包まれ 震えながらの

毎日夜を迎えた。

 

樹木の伐採、鉄道のレール

僅かな食料だけでは当然足りず

空腹で死に至らしめる仲間が多くでた。

まさに戦後 外地でお国のため 戦争に参加した兵隊が

すぐに帰国できず 極寒のシベリアで

労働 食料 そして 仲間との別れで

居つ帰国できるかわからない不安

 

まさに 終戦と抑留の始まりであった。

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