78年間の時間が

広島に原爆投下78年のときが流れた 今日 平和祈念の式典が開催された。

この場所に原子爆弾が投下されてた今日 約5万人の参加者が平和公園で黙祷を捧げた。

それぞれの立場の政治家が平和を訴えた。

 

日本の総理大臣 岸田総理も平和を祈る言葉を御霊に捧げたが しかし 同じような言葉は以前もこの場所でも同じような立場の人か度々聞いた事がある。

どこが違うのだろう

一歩たりとも平和の言葉が人々の心に染み入ることはない。時間を遡れば

「8月6日 午前8時15分」

マリアナ諸島のでニアン島から飛び立ったB 29エノラゲイがリトル、ボーイと呼ばれた原子爆弾を当日の広島の青空の上空から投下

一瞬 地上は阿鼻叫喚の世界に変わり 泣き叫ぶ人々倒れた家屋の下になり 迫りくるう火災に包まれ、逃げ惑い、母を父を子供を呼ぶ声がアチラコチラに響き、まるで地獄の門が開かれ いつの間にか火災から逃げ惑う川面は死体の山になった。

その日には14万人の死亡者 負傷者8万人 そして人口に対する被害の割合はなんとは65パセントに達する。これは一般人に対して無差別の殺人です。

今で言えばロシアがウクライナの一般人に対しての攻撃と同じであり 戦争違反の行為である。

あっという間に灼熱で灼かれ、瞬時に失われた命、放射能の後遺症でどれだけの人が苦しんだろうか

この日 この場所 この時間で

それからどれだけの時間が流れたろうか

この場所で多くの政治家が平和を祈り、また多くの人が この場所でこの時間で どれだけ平和を祈願したのだろうか

 

同じような風景がどれだけ平和祈念公園の名前の下で流れたのだろうか。まして ウクライナに原爆投下などの言葉を投げつけてるロシア。あの時で時間が止まり 言葉は空虚な遊び言葉になった。

多くの戦争から何も学んでいない世界の指導者。

政治家の顔を見るたび 心に浮かぶのは苦しみ 泣き叫ぶ犠牲者の姿 あの時からどれだけの時間が流れたのだろうか

思わず テレビのスイッチを切ろうと思った時 小学生の姿、言葉がTVから聞こえてきた。

彼らの姿に時間が巻き戻され 一瞬、目の前で悶え 苦しむ人々の姿が映し出された。

それだけ 彼らの話がどの政治家より言霊として我々の心に響いてきた

平和は与えられるものでは無く 己の手で築けなければならない。

 

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