毎年 毎年 終戦記念日が近くなると新聞 雑誌 TV 等で戦前の軍国日本と 戦後のいわゆる平和主義日本を論ずる風潮が多く見られる。特に近年ウクライナとソビエトの戦争が世界中を巻き込み 未だに解決の道が見えない現在。その報道の中で特にウクライナの国民が国を守るため家族を友を故郷に残し戦地に出兵する姿がTV 等で放映される。その画面から彼らの国を思う姿に我々が忘れ去った言葉が当たり前のように聞こえてきた。
そして戦地で国からの徴兵で命を捧げた兵士に対して国がどのように尊厳と感謝の心をどのように表したのか。 戦前 戦地に徴兵された時 多くの国民は兵隊を歓喜のバンザイの声で送り出してきたが、いつの間にか戦いが困難な流れになった時 戦場で亡くなった兵士に尊厳と感謝をする事を忘れてしまった。当然 異国での戦いで遺骨を故郷に持ち帰ることは困難であるが、戦いで死ぬ事は恥である風潮が広がってきた。戦争末期の困難な国難には当然戦いで勝利を手にしなければならないが、死者として遺骨として帰国出来た兵士は自宅で家族に見守られて葬儀が出来た家族と、多くの国民は赤紙一枚で戦地に運ばれ、戦死した兵隊は紙一枚の死亡通知だけをもらった家族。
国のために戦い、命を捧げた兵士の最後の儀式が消えた戦後日本の姿。かたや 米国は 戦争のため戦い死んだ兵士が故郷に帰郷した時、英雄として祝福された。そして 国の式典などでは戦士した彼らを称える歌詞を歌い上げる事が歌手として名誉と考えられてる。
混乱の時代、今 我々は何を考えるのか 当然 国防を考える時、国のため戦い戦死した後、彼らをどのように称え尊敬するのか、国が考えなければならない。