朝からの時間の決まった行動に体がギーギー
次の目的地は
津和野の城下町 昔の城下町の落ちついた雰囲気が

この住まいは


何処かで見た顔をですね


この写真は明治維新に撮られた

幕末から明治維新に活躍した木戸

さすが城下町の風情が
タイムスリップすれば刀を身に着けた侍が当時の混乱した時代の中で必死に活躍する姿が浮かびますね

そして今回の旅行の目玉の

次は吉田松陰の松下村塾へ
【 生涯 】 ⇒ 名言へスキップ1830年、長州藩士の次男として生まれる。幼少から叔父が開いた松下村塾で指導を受ける。11歳の時、藩主への御前講義によりその才能が認められる。
1850年、西洋兵学を学ぶために九州に遊学。その後、江戸に出て佐久間象山に師事。吉田松陰は、友人と東北旅行を計画するが、出発日の約束を守るため、長州藩の通行手形の発行を待たず脱藩。1852年、江戸に帰着後、罪に問われて士籍剥奪・世禄没収の処分を受ける。
1853年、ペリーの浦賀来航を視察し、西洋の先進文明に心を打たれて外国留学を決意。長崎に寄港していたロシア軍艦に乗り込もうとするも失敗。1854年にペリーが再航した際には伊豆下田港に停泊中のポーハタン号へ赴き、密航を訴えるが拒否される。吉田松陰は、自首し、長州へ檻送され幽囚される。
1855年に出獄を許され幽閉処分となる。1857年に叔父の松下村塾の名を引き継ぎ、松下村塾を開塾。そこで久坂玄瑞、高杉晋作、伊藤博文、山縣有朋などを教育する。
1858年、幕府が無勅許で日米修好通商条約を締結したことを知って激怒。討幕を表明して老中の暗殺を計画する。弟子らは反対して同調しなかったため計画は頓挫。さらに、松陰は幕府が日本最大の障害になっていると批判し、倒幕を持ちかける。結果、松陰は捕らえられ幽囚。
その後、井伊直弼による安政の大獄が始まると、江戸の伝馬町牢屋敷に送られる。松陰は尋問に際し老中暗殺計画の詳細を自供し、自身を「死罪」にするのが妥当だと主張。井伊の逆鱗に触れ、1859年に斬刑に処された。享年29
歴史の本にでてきた人物が開いた塾

この住まいで学んだ人物が明治維新に多数活躍


境内の中に吉田松陰歴史館を見学
彼の生まれた故郷

勉学を学ぶ姿

当時の城主の前で勉学を教える姿

やがて 攘夷、鎖国で日本中が別れそれぞれの思惑で
混乱の世の中
当然 吉田松陰も其の混乱に巻き込まれ 其の中で塾を開き
多くの塾生が学び 明治の維新に活躍した。

やがて その混乱に巻き込まれ 捕らえられる。

家族との別れ


江戸の伝馬牢へ

そして 死罪の日を迎える

境内の中での
吉田松陰歴史館 彼への評価は歴史学者でも分かれてますが
今の時代でも多くの観光客が足を運び 彼の足跡を知り
動乱の時代に活躍した彼を知り 日本の国を考えてくれればいいですね
勉強になりました。
だんだん小さな文字が見えにくくなってますので展示館で
時代ごとの吉田松陰を見れるのは嬉しいです。

江戸末期の幕末の時代 徳川時代から次の時代の波が
欧米列国の鎖国から開国への圧力を受け それぞれの人物が
国のため、必死に活躍した時代です。
国を憂う心が明日への日本に向かって進んだ時代です。
また 現在の日本を築き上げた動乱の一時代です。

