退院しました

癌研有明

なんだかんだと言いながら 無事 病院での

1回目の抗がん剤治療が終了

隣の公園の紅葉を

嬉しいいね

そして 久しぶりに 音楽教室で校長と2人で

小生作詞の 「明日に向かって」の練習

思い切りお腹から声を出し いい運動に

悪性リンパと診断されてから2ヵ月

色々ありました

最初の病院での不信感

そしてセカンドオピニオンでこの病院に

これから3週間に一度の抗癌剤治療が来年の3月まで

過去より 未来より いまの時間を大事に

色々 学びました

すべて 与えられた命に感謝するため

神様からの与えられた命を

今の瞬間 燃え尽くすことができたのは幸せ

今日は骨髄への注射

検査入院の最終検査

有明にはかもめで有明まで

まさにここは高層ビルがあちこち

なんだか馴染めないですね

そしてがん研有明病院に

そして 手術の承諾書

 

サインを すれば いよいよ

手術室に

おや  若い先生が出迎えてくれました

[山口さんベッドの上にうつ伏せに]

そして

「骨髄に部分麻酔入の細い注射をしますから いいですか

痛みが我慢できないなら 麻酔を増やしますから」

優しい声で励ましてくれました

その声に思わず  「大丈夫です」と答え

麻酔が効いてきたとき

「次は太い注射で骨髄の組織を取りますので多少痛みが

出ますから、、、、、」

2回も注射するのか、、、

そして 体全体が突き上げる痛みが

「今 骨髄の組織を摘出しました」

冷や汗が

「終わりました」

時間は一五分ぐらいで終了

そして いよいよ 来週から抗がん剤の治療が 始まります

頑張ろう 頑張ろう

来週の初めに 入院10日間 入院

抗がん剤治療と薬で1日

あとは様子を見ながら  遅くとも10日間病院に

そして1ヵ月1度通院

約 半年

長いな しかし 我慢

 

 

セカンドオピニオン

社員一同からの寄せ書き

検査入院から自宅へ帰宅したとき

嬉しいですね

しかし ここまで来るのに回り道が

いろいろな病気にかかったとき 当然 病院 そして医者などを調べるのは大事な事と思います

実は今のがん研有明はセカンドオピニオン

ここまで来るのに一ヵ月の月日が

最初 悪性リンパと宣告され まさか まさか

自分がと思い どうして。。。。。

最初の病院はクリニックの先生の近くの総合病院に紹介された。そこでも悪性リンパと宣告され 不安の中で

先生とのやり取りが始まり、今後の流れが説明された。

まずは 悪性リンパの細胞を背中側から麻酔で二箇所注射して

リンパの一部を取り出し 抗がん剤の種類を決めるとの説説明

えっ、二箇所も

仕方がないと思っていたが 「山口さんのリンパの位置が

見つけるのが難しい位置でわかったので

お腹を切って手術します」

おい おい なんで話が変わるのか

お腹を開腹とは、、、つまり切腹なのか

なんで後出しをするのか  いつの間にか不信感が

そして手術は12月ごろ

待てよ 今は10月初旬だろう

二ヵ月もこの状態で待ってるのか

先生 最初の話と違うだろう

「手術は外科の先生ですので 山口さんから 早くなるように頼んでくれますか」

ちょっと 待てよ それは先生の仕事だろう

少し前 私に任せて下さいといったのは先生だろう

いつの間にか 責任を上に持っていくとは

やはり 若い先生は 力がなく 上から言われたことを

オウム返しに言うことしかできないんだなと思い

セカンドオピニオンで自分たちで探し 紹介所を書いてもらった

そんな経験から

先生との出会いでは、どこまで多くの経験を積んでるのか

特に医者は神であると勘違いする医者がいることを

心に思うことが大事である

自分の命は自分で守る

そのため言うことは言う

そしてセカンドオピニオンを自分たちで探し出し

今の病院に決めた。

 

娘から 沖縄の守り神が

沖縄から守り神が届きました

初めての沖縄の神様

これであればがんなど怖くありません

ありがとう あやちゃん

 

家の守り神のげんちゃんの耳元にも

 

今日は渋谷の脚本の勉強会

彼とはここで知り合い

なんとお名古屋から一人で自炊しながら朝から晩まで

小説の勉強

それも三年計画で

東京に勉強に

すごいですね

 

ここはヒカリエ

食事会を この場所で

若い人ばかり

お好みやの店に飛び込み

 

 

イケメンのお兄ちゃんが作ってくれます

この中に具材が山盛り

肉 貝 魚等

ボリュウム 満点

 

あっという間に

すごいね

 

 

今や 高級品のサンマが

二時間の勉強疲れ

又 渋谷の街などにめまいがして 食欲がありません

体重七〇キロが六〇キロに

ダイエットで有ればいいのですが

いよ いよ 抗がん剤治療が 間もなく 始まります

病名を宣告されて ようやく

まな板の鯉ですかね

無事退院できましたが

最後の朝食

なんだか一口も口に出来ませんでした

ごめんなさい

最後に見る窓からの風景

機能は台風

そして 今日は台風一過  良かった

お世話になったがん研有明

看護師さん 毎日

お世話になりました

まるで 浦島太郎の生活でした

つい 病院そばの公園で

そとの空気は美味しい

外の風の嬉しさ

鳩がお出迎えに

上官にも大変心配かけました

多分 これからも 心配かけると思いますが

ひらに ひらに  よろしく 願います

少し 体がふらつくけど あのゆりかごで帰ろう

自宅に帰ると 息子から

寄せ書きが

社員一同

いや 多くの家族から 励ましのメッセージが

元気の源です

ありがとう

病理結果が12日ですので

果たして 果たして

3泊4日の検査入院

個室をち頼みました

八条の広さに 水回り ベッドなどが

特にトイレは誰にも気にしないで使えるのは良かった

 

 

壁には 名前と がんの病名が

いわゆる 悪性リンパ

今回の入院は細胞を取り 検査して

初めて 病名が決まる

看護師さんが朝 昼間 夜 深夜と

見回りに

血圧 体温 そして 薬と

 

食事は あまり食べられない

 

朝から晩まで 一日中 点滴棒と一緒

窓から有明の夜景が

ホットしますね

 

突然の病名にやはり心が震えました

ほんとうに まさかまさかですかね

がん闘病記はいずれ小説で書きましよう

 

まさか まさか

久しぶりのブログ

おまけに 今日は 新橋に

駅前の機関車の前で

上官と一緒に

 

目的は この神社に

烏森神社

坊主頭で 参拝

お守りを購入

癌封じのお守り

実は明日から検査入院に

この2ヵ月 体の不調で ブログもお休み

まさか 上官と新橋の駅前の機関車の前で写真を撮り

神社に参拝とは想像できませんでしした。

明日は我が身ですかと思いつつ 入院に

おそらく3泊4日の検査似」なるでしょう

明日に向かって

音楽教室で 美声を?

実は小生の作詞の歌のレッスン

題名 明日に向かって

人生の晩年を迎える同世代の気持ちを作詞に書き

校長先生が作曲

無謀なる挑戦がわれわれのエネルギー

完成したら 動画でおみせします

 

上官の上達にはびっくり

ボイスとピアノ

特に真面目にコツコツだからこそ

豊玉音楽教室

先生がすべて一人一人の生徒に向き合い

楽しく指導

小生みたいなわがままな生徒を気持ち良くさせてくれる教室はなかなかありませんでいたね

練馬駅から徒歩10分

素敵なビルの中で楽しんでます

パラオリンピックが閉会

なんだか オリンピックより 夢中になりましたね

体が不自由であればあるこそ その思い、その情熱が

我々 正常者?に熱い感動を与え

彼らこそが思わず 人生の勝者ではないでしょうか

 

体の不調により前回は 悲しい結果

しかし もう彼は過去の選手と思われたが

不屈の精神で

金メダル

すごいですね

 

素晴らしい 演出が

よく解るかりましたね

どんな姿でも この世は すべて受け入れる世の中で

有りたい。

 

体が動かず

しかし 彼が次回のパリのパラリンピックの

総合演出者

、目を動かし 人に支持を与える

 

 

じかいのぱりの祭典も楽しみ

今回多くの選手が出場しましたが

今日から 今から

かれらの姿が日常でも活躍できる世の中で有りたいですね

池袋 マルイが

肌寒い梅雨の中 池袋西口から2分のマルイが寂しそうに

目の前に

閉店 閉店  この文字が目に入ったのが数週間前

えっ

駅の前はマルイなどの宣伝の言葉が 街にあふれていたのは

50年前

そして 小生は大学卒業後は 世の中の第一歩として

マルイに入社

そのマルイが

おまけに 学校の通学路でしたね

 

 

ほんとうに ほんとうに

寂しい

 

形あるもの 命あるもの

いつかは いつかは