恐竜と そして、、

恐竜展に出かけた時

ピースで作る 恐竜

これは立体的なパズル

完成すると、三次元のパズル

目の前に立体的に恐竜が浮かんで来ます。

まるで 立体的TVですね

そして 鬼滅の刃の広告が新聞両面に

いや 鬼滅の刃が 小生の頭に

孫たちに教えたら

ジジ  すぐ送ってと

その続きで

電車に乗ったら

 

電車の優先席近くに

この 絵が

壁 天井に

御覧ください

電車の連結部分の壁、天井に

目の前に

まるで 遊園地に

迷った気持ちです

夢のある電車に

素晴らしい経験しました。

今年も靖国神社に参拝へ

今年も 靖国神社に  参拝

通常は 仕事始めに会社社員と参拝

しかし、今年は コロナで 分散でしたが

我々夫婦は 正月明けに 参拝

七三歳 まだまだ

やはり 御霊を守る靖国神社はどんなことがあっても

頭を垂れる場所

前年度の御札を納めに

ここから昇殿へ

神主様からお言葉を頂きました。

神様の前で神主から夫婦の名前を呼ばれると

身がしまる気持ちですね

七三歳の新年の参拝

考えることが多いですが

我々夫婦は健康で この場所に参拝できることは

ありがたいですね

 

シベリア抑留から帰国へ

五五〇〇〇人の死者

戦争という名前の下で 赤紙一つで召集され

やがて

長崎、広島で 原子爆弾投下で終戦

しかし

悲惨な日々がシベリアで多くの兵士を苦しめた。

シベリア抑留の経験の画家が描いた絵が

胸を打つ

朝起きれば隣に寝ていた戦友が息をがなくなっていた。

当然、食糧難で かぅての戦友と食料を巡って

争いが

痩せた体に

勝手の赤子と呼ばれ 戦いにのぞんだ面影が無い

一つの食料をめぐり

戦友と争い、、

極寒の中での作業

 

シベリア鉄道の工事が日本の兵隊いの力で

そして 民主化運動が ここシベリアでも

当然 その後ろにはスターリンの共産主義が

兵隊の中にも

イデオロギーが軍隊から共産主義へ

そして 学習が開かれた。

故国でも帰りを待ち続ける運動が

そして 中国、シベリアから多くのの兵士が

やがて故郷の大地を踏むようになる

 

シベリア抑留

日ソ不可侵条約を破り

突然のソ連の戦争参加

そして シベリアに多く兵隊が連行された。

極寒の中で日常品を作り上げた

身にまとう服、靴 帽子 手袋など

鉛筆

メガネ

作業するための道具

ラーゲリと呼ばれた収容所

材木で創り上げた住まいの壁の隙間から冷気が

当然 薄い寝具で冷気に包まれ 震えながらの

毎日夜を迎えた。

 

樹木の伐採、鉄道のレール

僅かな食料だけでは当然足りず

空腹で死に至らしめる仲間が多くでた。

まさに戦後 外地でお国のため 戦争に参加した兵隊が

すぐに帰国できず 極寒のシベリアで

労働 食料 そして 仲間との別れで

居つ帰国できるかわからない不安

 

まさに 終戦と抑留の始まりであった。

平和祈念展示資料展

戦争 戦争

今から八〇年前に日本は戦争に

当然 多くの犠牲者が

その多くの兵隊が 赤紙一つで召集

赤い日の丸の国旗に

おおくの寄せ書きを書かれ 戦地に

いわゆる 軍隊に

どこに行くのか知らないままに

戦地に

そして 終戦

負ければ当然 戦地で さまよい

苦しみの中で あるゆる困難に

はるか遠くに見える 故国を望みて

故国を望みて

しかし

当然 兵士の抑留が

特に ソビエト シベリアの零土での

いや 極寒での抑留

そこから 本当の悲惨な生活が 北の最果て

シベリア

 

帰りたくとも 帰れない 兵士の悲痛な日々

 

お国のため、いや 父母、兄弟のため

戦地に 赤紙一つで 出征

 

いつ帰るかわからず 極寒の零土の中で

身一つ守れない服を着て、 寒さ 食料など

すべて すべて 死に致しめる酷寒の日々

ようやく ようやく 逃れし 人々の顔に

見し ふるさとの山々

しかし 抑留されし 兵士は シベリアの大地で

いつ帰るかわからぬ日々が始まった。

恐竜に挑戦した会社

会場に会社の生き様のメッセージが

NOと言わない

そこから挑戦

最初、鉄鋼所の後を借りて 恐竜作りに挑戦

そのうち 資金不足で 会社がピンチ

それを乗り越えて、、

すごいですね

創業の時代の会社は荒波をかぶり 息ができず

もしかして 溺れる中で ようやく 一筋の光が

そんな 会社が今や、イベントで全国に呼ばれて

家族連れが 夢中になって

恐竜と会話

本当に本物以上の恐竜が目の前に

一度 恐竜国へ足を運んでください。

迷い込みました。恐竜の世界に

気がつけば

新宿の住友三角ビルの 恐竜展に

迷い込みました。

恐竜を現代に呼び起こそうと

埼玉の小さな会社が大昔 地球上に闊歩した

恐竜を作り上げたのです。

第一歩の恐竜からやがて 様々な恐竜を作り上げた。

こんな大きな恐竜が地上で

想像するだけでドキドキ

会場では最初の一歩の恐竜から

次の恐竜に

だんだんリアルな恐竜が目の前に

 

目の前に突然現れたら

逃げるだけ

会場は子供連れが

この会社で作り上げた恐竜たちが

現代の子どもたちの夢を作り上げてるのでしょう

中央の会場に

なんと 動き回る恐竜が 目の前に

もう少ししたら もう少ししたら

胸がドキ ドキ

果たして

年賀状と安産のお願いに、、、

やはり 年賀状は自分の文字で

七三歳での挑戦

赤墨で 牛

そして 小生の好きな龍を黒墨で

世界で一つの自作の年賀状

もらった人はびっくりかな

そして 水天宮に

えっ

安産の神様の神社?

もしかして もしかして

平日ですが 家族連れが

七三歳で 上官との子供ができたら

どうしょう 嬉しいかな

新聞で 騒がれるでしょう

答えは 女子社員が来年 出産です

そのお願いに神社にお願いに来ました。

無事 出産できたらいいですね

神様 お願いいたします。

五〇年 おめでとう

会社近く 地元で有名な

トンカツのお店 カトレアが

なんと 五〇周年

店の前に お祝いの花が

店内にも お祝いの花々が

壁にも

おしやれなの飾り棚が

中心に お客様方から送られたママの笑顔が

この狭い調理場で

一人で 一人で

美味しいトンカツを作ってます。

実は 何年前、お店を休業

その訳は 大病を患い、

そのまま 店を閉めるかと思いましたが

お客様の笑顔を見るため 復帰しました。

五〇年

人生 一〇〇年と言われてるが その半分の五〇年

この場所で ただ 一筋

ご主人様の意志を引き継ぎ

トンカツだけで お客様と会話

ママ これからも 元気に

我々の胃袋を満たしてくださいね

 

 

わっしょい わっしょい

江戸といえば

火事、まつりなどで有名

神輿を担いで

エエエイー

わっしょい わっしょい

夏など、船を浮かべて 橋の上からも

ドカン ドカン

花火だ

たまや かじや などの掛け声とともに

夏の風物

当然

歌舞伎ですぞ

日本伝統の歌舞伎

当然 錦絵として 人々は有名な役者の

錦絵を手に入れた。

 

いいですね

この 姿

日本一と声が

当時の歌舞伎舞台で

歌舞伎役者のつもりで

パチリ

帰りは

昔風の懐かしい

醤油ラーメンの店に

結論を言えば

大満足でした。

美味しかったな