東福寺展覧会に

京都の東福寺の展覧会が 上野 美術館で

それも五月七日まで

慌てて 上野に

ランチはどこで食べようかと  そうだ

今日は平日であるので 混雑はないだろうと

ランチをアメ横でと

しかし 甘かったね

各国代表の観光客が 店先まで くつろいだ様子で

ビール 両手に

perapera わおお  解らない言葉が 溢れてるよ

ここは外国か

昼食食べる場所は 観光客だらけ

追い出されて

一人 パンと牛乳ビンで  パン屋さんで

 

寂しい 昼食だ 牛乳を飲みながらの昼食は 小学生時代であるので六五年以上の思い出

まさか 上野で思い出すとは

さああ 目的地だぞ

東福寺   締切は五月七日まで

なんとか 間に合ったね

この頃  自撮りが うまくなったのかな

素敵な女優の木村さんが音声のマイクから素敵な声で説明してくれる

嬉しいいな

内部はほとんど撮影禁止

しかし この 一角は OK

京都の秋の紅葉を いや 東福寺の境内からの観光スポットの場所を復元して撮影OK

なんだか 話がバラバラですので 少し まとめましょう

東福寺とは

京都の禅寺の中心として 有形な禅宗の中心人物を

次回 東福寺の由来など にわか勉強して ブログに書きましょうね

なんと 沖縄から、、、」

届いた 娘家族からの届きもの

えっ

なんだろう?

結婚記念日 もしかして 今日が

ガッンー

たしか去年も 今日はなんの日?と

聞かれたことがありました。

来年は絶対忘れないぞと

しかし しかし

娘からの 結婚記念のプレゼントに 思い出しました

ごめんなさい

すごいね

生花を加工して 生花として 全国に送ることが出来るんですね

げんちゃん

今日は 結婚記念日なのよと 教えてる上官殿です

絶対忘れないぞ 来年は

四八年間の結婚生活

色々互いに苦労して 小生七五歳まで

やはり お前が一番ですぞ

げんちゃんと共に 来年の結婚四九年記念

そして 五〇周年

金婚式ですぞ

あと二年 頑張りましょう

どうぞよろしく

上官殿  最敬礼

また 友が、、、、

急遽 新幹線で 四国に

あまり体調が良くない時 学生時代の友人が亡くなった連絡が

えっ?

2月にも 友が亡くなったとの連絡をうけたが>>>>

まさか 四ヶ月後に  また友が

落ち込む気持ちを押さえつけ なんとか新幹線に

上官殿が無理をしないようにと言ってくれたが

友の顔が浮かぶ

なんとか東京駅に

いつものように駅弁を しかし 食欲が進まない

九州と静岡からも友が駆けつけてくれた。

卒業してから 一年に一度 それぞれ持ち回りで

全国を旅行していたが  そういえば何回だろうか

おそらく三〇回以上の旅行を

六人から 今は三人に

寂しさが胸にしみるが

友の元気な顔を見て少し 気が紛れたが

そして友の霊前に手を合わす

思わず 写真の友の笑顔が 何かを語りかけてるように感じる

今宵の宿は 四国  金毘羅温泉

四年ぶりの再会であるが 一人 いや二人抜けて

三人の温泉宿

久しぶりの 静かな夕食

その三人であるが 小生は がんに そして他の二人も

心臓病で 手術を

思わずともの方を抱く

率業してから五〇年以上の時間の流れ

お互いいたわり 奥さんを大切にと 話が進む

お酒 料理もどこかに

五〇年分の話が進む

亡くなった友の分も これから健康を第一にとお互い約束して、、、、

来年の旅行を約束して 友のいびきを聞きながら眠りの世界に

フレー フレー

渋谷?

今日のコンサートは若者の街 渋谷ですぞ

思わず 思わず あの人混みを見て 疲れるだろうと 思いつつ

丘 みどりのコンサートに

TV で 彼女の素顔を見て 歌がうまい また かわいいなどの訳のわからない理由で 上官殿と 渋谷公会堂に人、人に囲まれて 駅からようやく 会場につきましたが

途中 我々と同年代のおとこの人から渋谷公会堂はどこかなと聞かれました。

我々の年代は はっきり言って渋谷では目立ちます。

会場に到着

 

うわあ、同じ年代の仲間が ハッピッの背中にみどりの文字が

応援団ですぞ

凄いな

内部は写真禁止ですので

入り口で

パチリ

当然 会場入口には

花 花が 満開です

我々夫婦も いまの時間が 満開ですぞ

そして 約 二時間のコンサート

なんと彼女 一人で熱唱

応援の歌手など頼まなくて 一人で 本当にすごいですね

そして 我々夫婦も 早速 彼女の応援団に参加しましょう

彼女のステージを見て ここまで来るまでの長い道のりの中に当然は 人知れずの涙、努力の賜物があったのでしょう。

どんな人生でも必ず経験する長い道のりの中で出会う悲しみ 苦しみ そして勝ち取った喜びがありますね

人生に必ず出会う様々な出来事から逃げないこと 苦し事の先には喜びがありますね

頑張れ 丘みどり

フレー フレー

みどりちゃん

豊玉音楽教室改装工事が

生徒としてお世話になってる音楽教室の改装工事が始まりました。

外装 防水 内部回収 看板工事など

見違える工事がスタート

まずは 既存看板撤去

その後のモルタル補修

赤の車に負けないように 素敵な教室にします

五階建ての外装工事が今日から始まりました。

最初に足場 高い場所での足場施工は安全に組み立て

ネットで建物全体を囲い

もしものときの施工上の安全を確保

足場 塗装 防水 内部リーホーム 電気 照明 看板など

後期は6月初旬まで予定

どんなに素敵な音楽教室で完成するのか 楽しみにしてください。

生きる

桜の花が春の訪れとともに 一年に一度 この世界の桜花を歌い、人々から讃えられて、やがて一年に一度の祭りの終焉となるが

しかし 翌年も翌年もその姿を永遠に人々の瞼に映し出される。

まさにある意味 永遠の時を生きると考えるが

しかし 我々は どうだろうか

上官殿から進められ 二人で足を運んだのが

英国映画

生きる

黒澤監督の 永遠なる秀作をヒントに

 

 

 

 

 

がんを罹患した主人公が 最後に自分の生き方を変えて、

生きるとは  命とはを考え

この世に自分の生きる意味を考えた結果

どのような行動をしたのか

全てを投げ打って 生きる証を求め 最後に彼が決めた行動は?

昔 黒澤監督で作られた 同じ「生きる」映画

日本と英国の映画で上映されたが

表現の違いに驚かされる。

この黒澤監督の映画を リバイバルとして作り上げた英国の監督 俳優 脚本の美しさ

凛とした中に 心 打たれる 感動 恐ろしさ

人生 初めて 上映後 小生は

拍手をした。

仲間と観るのも 一人で観るのも よし

 

ぜひおお勧めしたい秀作である。

人生の四季とは

確か中国古来の五行説に 人生の四季を

青春 朱夏 白秋 玄冬と説明されていた。

当然 今 それぞれの年齢により

今 自分は どこかの四季なのか

小説家 五木寛之は

青春は 二五歳まで

朱夏は 五〇歳まで

白秋は 七五歳まで

玄冬はそれ以降と説明していたが

当然季節ごとによりこの世で自分の年齢での役割 考えが違うだろう。

人生後半をどのように考えるべきなのか。

もし 心身とも健康でこの世で求めれれ 仕事 家庭での役割を終える年齢をどのように云うのだろうか

彼は六〇代は収穫期 七〇代は黄金期といっていたが当然それ以降は?

今は一〇〇年時代と巷で騒いでいるが 玄冬の八〇代、九〇代の人生を重ねることが可能であれば それを天命として生きるチカラが必要であると考える。

当然  玄冬の時を迎えてならば 老いても立ち向かう心情が必要であるが その年代までの数え切れない経験と悩み 苦しみ 喜び 成功経験が すべて神より与えられた天命として 明日への糧として 精進する事が必要であると思うが、

75歳以上の玄冬の玄の漢字の意味に

1 奥深く暗い場所

2 奥深く考える

2つの意味がある

つまり 75代以降の年代では 物事を奥深く考え 老いるまで多くの経験と 思考を積み上げる

自己人生を完成するまで 我々は精進しなければならない

 

特に白秋までは仕事 家庭でのこの世での役割に懸命になるに違いないが 最後の年代を迎えた

玄冬   七五歳上の人生をどう考えるのか

「毎年 桜は咲く そして 散る

しかし

次の年も 次の年も

枯れるまで 永遠に 咲き誇り

すべての人々を喜ばせる」

 

小雨が川面に

生憎の雨が 朝から そして出港時間には 強くなり

桟橋には 今日の親睦会を楽しみにしていた 家族 業者取引先が 今か今かと出港時間を待ちくたびれていたが

ようやく

出港だ

ドラを たたけ

ゴーン ゴンー

 

たちまち 目の前のお膳には 天ぷら 刺し身 炒めもの

肉料理などが

さあ 乾杯の音頭は?

そんな声もどこかに 飲めや 歌えやで

 

たちまち 宴会タイム

昼間のお酒は

最高だね

あっ 思い出した

屋形舟に乗り 優雅に桜を見ながら 春の訪れを楽しみはずだったが

 

家族連れが5組

嬉しいですね

 

船上に出ると やはり 雨が

寒いですね

 

あっという間に 時間は過ぎ

あれっ 船の上から 桜を楽しみはずでなかったのかな

2時間30分の時間はたちまち過ぎ行き

いつの間にか上陸タイム

岸辺に 桜が雨の中 早く早く 見てほしいと呼んでいます。

総勢55名

皆さん ありがとう ありがとう

みなさんと力を合わせて 頑張ってきましたね

お疲れ様でした

一人では何も出来ません

縁あって力を合わせて ここまで 来ましたね

今日より 明日に 明日より 未来を

雨が川面をたたき 揺れる屋形舟 また 川岸の桜並木から桜吹雪が風に舞い そして いつの間にか川面が散りゆく桜の花で満開になり 波に漂い波に消えていく

小生のワガママで 開催した屋形舟と桜を観る親睦会

確か 8年前に一度開催しましたが 去りゆく季節と共に あのときの時間を思い出し、今回 開催が出来ました。

ときの流れに呆然としながらも 確かにあの時あの場所に共に立ち続け 共に語らった 戦友の顔を 声を思い出す事が出来たのは嬉しいことでした。

今回の企画に協力していただいた皆さんに

乾杯を捧げましょう

乾杯 乾杯  ありがとう

山口建設  会長

山口康人

 

言葉を忘れました。

町中の小さな公園で

ひっそりと 咲く花を見つけました

思わず 紅白の花びらに

心が奪われました。

ただ ただ

じっと 言葉を忘れ なんとか心に刻むため

スマートホンで 一枚 一枚

パチリ

本当に 静かに 言葉忘れ

自然の流れに

黙って 眺めていました。

人の言葉を忘れさせる 自然の営みに

感謝

ありがとう 名も知らぬ花びらよ

生まれて 初めて

今日は応援してる古賀さんのコンサートが

銀座のマメコーヒーの会場で

10階建てのビルで一階から三階まで 大分県物産館で使って、一〇階が会場

美味しいマメコーヒとケーキのセットで二〇〇〇円也

コーヒーはポットで三杯ぐらい飲むことが出来ます

ケーキは美味しかったね

舞台にはピアノがセット

ガラス向こうには銀座の建物が

会場hあ彼の熱心なフアンが席から彼の美声に聞き惚れてます。

いつ聞いても彼の美声 想像より 高くその声は人の心を優しく溶けるように包みます

前回は小生のプロデーユースで桜台の会場で開催しました

その時 来場した方からも声をかけて頂き なんとなく仲間が 増えて 嬉しいです。

その後 なんと なんと

そして生まれてはじめて 皇居に

桜はここからは姿が見えませんでしたが

周りは なんと外国の観光客の姿が多いですね

七五年 我々夫婦で初めて皇居に足を入れました。

この笑顔を

色々ありましたが ようやく 皇居に

日本は素晴らしい国です。

嬉しいですね