沖縄3日目

今日の夜は娘家族との 上官殿の誕生日会、孫の中学入学

そして 小生のがん完治祝が無事終了のお祝いです

我々夫婦は パルコに 大型の商業ビルで いろいろなお店が

その一角に なんと なんと ロゴで首里城の姿が

いや

いやあ  どれだけのレゴ いくつあるのか

そして日にちが  何人で作り上げたのか

とにかく すごいね

思わず 記念写真

確か 1年半前 昼間 会社の旅行で 首里城を見学

その夜に 火災

TVを見て 画面に映る 燃え上がる首里城に

ただ ただ 唖然として 悲しくなったのを覚えてる

また 食事を運ぶ ロボットに

オーダはお店の人に

そして 料理は ロボットが 間違いなく お客のところに

店員は運ぶ必要がありません。

 

でも なんとなく 寂しいかな

1500円の昼ごはん

夜の娘家族とのお祝いは焼き肉

ばば 誕生日 おめでとう

孫からもらうと 嬉しいいね

この笑顔を

うわあ じじにも  ありがとう

マッキーは可愛いいね

そして スクラッチは娘が 合計 1800円

大当たり

おめでとう

ありがとう

みんなのため じじ ばば

健康で 頑張るよ

来年も 再来年も よろしくね

沖縄初日 映画に

お腹を満腹したら

いつものように 映画に

今回は ドライブマイカー

よくわからない題名だが

はたして 小生には?

 

デパートの上階に

懐かしい スターの写真が

皆さん わかりますか

いやあ わかりますね

 

戦後のこの映画館の写真

いいですね この映画館の場内は

天井が高くて 椅子も ゆったりと

つい つい 最近覚えた自撮りで

どうですか

あとは 映画は なんだか、、、、、、でした

途中 寝てました

沖縄初日

宜野湾のマンション

3年前 海が見えるリゾートマンションjに引かれ

購入

特に娘の住まいが近く 孫たちが遊びに来るのを

楽しみに

 

特に ベランダ側に浴室があるので 海を見ながら

お風呂に

 

到着後は 真向かいの 丸亀うどんに

安くて 味が最高

テキパキと対応するお店の人が素晴らしい

これで 600円ぐらいかな

そして 沖縄では必ず行く行く映画館で

いま 話題の

ドライブマイカを

沖縄に

7泊8日

24日から31日まで

目的は 長男の中学校入学

上官殿の誕生日、、、何歳ですかね

そして小生のがん治療完治

おめでたい話を久しぶりの沖縄で

、まずは 羽田空港で

タッチレス 乗車券販売機

まさか まさかと思いながら 初体験

そして 荷物なども 全部 お客様の仕事

便利が良いですが 人の声を 人の顔を

聞かないで 見ないで 飛行機に

なんだか 寂しいね

 

 

TV画面が目の前に

映画 ドラマ ニューウスなどが

さあ 出発だぞ

上官殿

 

サア

腹が減っては戦ができない

お弁当は  これだ

和風弁当 加賀屋

2段組

旅行の楽しみは飛行機の中で食べる

全国お弁当

満腹

空港には孫の正人が一人でお出迎え

大きくなったな

明かりちゃんもきれいになったね

今回は長期の滞在ですので

海が眺める マンションに滞在

ベランダ側に浴室があるので 風呂に入りながら

海が眺めるのが気に入り 購入したのが3年前

前回はコロナが流行る少し前に宿泊

7日間 お世話になりますよ

さああ 今日の予定は

上官殿

教えて ください

親父 おふくろ 元気か

お彼岸です

家から15分ほど

父、母に会いに来ました。

元気に暮らしてるか

風邪を引くなよ

 

我が上官殿も

いまはお世話になってます、

息子家族も一緒だよ

孫も こんない大きくなって

今年 中学校

ため息が出るほど すぐに大きくなって

それだけ 小生が年を取ったんだね

今になって 親父 おふくろの気持ちがよく分かるよ

天国で元気で暮らしてね

快気祝に 孫から

 

上官は誕生日のお祝いに

サア サア

来年まで 健康第一に

誕生日を楽しく迎えられるように

上官殿に迷惑をかけないように

神様 お願い

神様 お願い

神様 困ってしましますね

こんなわがままな74歳のお願いは

靖国神社に参拝

桜の標本木が

まだ まだ でした

蕾が 顔を出してません。

その数日後 桜の開花を宣言しましたが

今日は 幹部と 靖国神社参拝が目的

参内者は我々含めて6名

なおさら 神聖な気持ちで宮司さんのお言葉を聞きました

あまりに 通常より親切な言葉に つい つい

「今日の祝詞は素晴らしいですね」

「山口建設さんですね

「えっ」

「そうですが」

「いつも 御霊まつりで 提灯を飾ってくれてますので

覚えてますよ」

偶然にして その神主さんが今日の祝詞を上げてくれてたのは 神様からの贈り物かな

帰りは 小生の書斎に案内

眺めが最高と 感動してました

帰りは 神楽坂のお店で

小生の快気祝いを兼ねて

当然 乾杯

どんどん 飲んで

社長も 部長もピッチが早いね

サア 2次会に

神楽坂の女将さんも お店が終わって

サア 飲もう 飲もう

当然 帰りは どこまで覚えてるか わからない

フラ フラ

部下からの快気祝い  ありがとう

ついに ガンが

3月16日「水曜日」

有明ガンセンターに

去年の10月に 突然 悪性リンパ腫の宣告

言葉を忘れ どうして 私が 私が

遠い世界の話と思い 小説 映画 TVなどで他人事のように 眺めていたが、、、、、、。

目の前に付き付かれた 現実に、、、、

仕事を離れ いよいよ 老後の人生を

健康第一と考え そして 趣味を見つけ

上官に迷惑をかけずと 思っていたが

ガンの言葉ににうろたえ 目に見えぬ不安の世界に

しかし 妻の 支えに なんとか 前に進むことができた、

最初の病院で 医者と病院の治療方針に不安を覚え

セカンドオピニオンで ガン専門の病院に

そして 検査入院 そして 手術 入院

途中 先生との意見違いでのトラブりがあり 上官に迷惑をかけたが 無事 退院

ようやく 外来での抗がん剤治療を3週間ごとの治療を

去年の11月から

合計12回

自宅から 病院での検査 抗がん剤治療

朝早く そして帰宅は5時過ぎ

3月16日  最終検査日

ペット検査 CT検査

その結果は

「 山口さん ガンは消えてます」

「、、、、、、、、 本当ですか」

長かった 長かった

 

思わず 病院隣りの公園で

ありがとう ありがとう

上官殿

3月16日は 君との熟年結婚記念日だね

被災地訪問。。。2回

湯けむりの中 70代の老人と小学生と思う孫と2人の

姿が見えた。

この時間の入浴は おそらく 地元の避難者と考え

声をかけた

「地元の人ですか?」

突然の声に少しびっくりして

「いやあ この宿に避難して来たんです」

「どちらどちらからで

すか?」

洗い場から 体を少しこちらを向いた顔は 疲れた様子で

「海岸から離れた場所でしたが 家が少し壁がひびが入っただけで安心してましたが それから数日後 突然、、」

湯けむりの中で見える老人の小柄な体はおそらく 自然相手で鍛えられて力強く見えたが 頭が禿げ上がり しわくちゃの小さな顔が疲れたように見えた。

「村の連絡の無線から 突然すぐに避難してください。

村の避難道路は 徒歩で歩く人、車で逃げる人など

狭い道が避難する人であふれるようでした。

まさか 原子力発電が津波で壊れてるとは知りません。

私たちの街が放射能で汚染されるとは、、、、、」

横にいる孫の顔を見ながら 弱々しい声が浴室の源泉が流れる音と混ざって聞こえてきた。

小生は次の言葉が出なかったが

「奥様は 同じ宿に泊まってるんですか」

「 最初は同じ村の人と一緒に避難場所でしたが

次から次と避難場所が変わるたび いつの間にか5,6人と、、この宿まで6箇所変わってます。疲れました、

そして 婆さんは具合が悪くなり 緊急で病院に

いまは 孫と2人だけです。」

後で分かったことですが 放射能避難地から避難した老人とお孫さんとの出会い、、

 

被災地への、、、1回

沖縄から東京に戻ったのは震災の3月11日から

1週間後 会社の社員の顔を見て安心して お客様への対応など確認

やはり 震災時に不在であったのが心苦しかった

そして その後も 震災の様子など TVの画面で見るたび

また避難の人々の話 被災地での苦労など聞くたび

心痛む思いであった

そして 車に救援物質を積み 妻と2人で出かけることにした。

震災から2ヵ月経過した頃だろうか

宿泊の宿がなかなか取ることができなかった

「被災地の方々も宿泊されてますが いいでしょうか」

宿の案内の言葉であったが なぜ そのような応対をするのが分からなかったが その意味が後ほど分かった。

朝の6時頃 東京を出発 東北高速道路は渋滞 渋滞

そして 目的近くになると 道は 崩れ 陥没で 震災の生々しさがあちこち

宿は 海岸沿いから遠い 山の麓のひなびた温泉地であった

時計を見ると午後6時過ぎ

東京から12時間 流石に疲れた。

「この廊下の向こうは避難された方が宿泊されてる場所です。我々も応援するため 無料で宿泊していただいてます。」

受付での説明で予約を取るときの説明の意味が初めて分かった。

どのように 避難された人に救援物資を渡そうか考えたが

同じ宿であれば 翌日でも渡そうかと考え 車の運転の疲れを取るため 浴室に向かった。

築30年ほどの温泉宿であるので所々に木造建築の歴史の跡が残り 浴室も壁 そして 浴槽も温泉の成分で所々に木々の変化が見えるひなびた浴室で 浴槽から源泉の匂いと共に 硫黄の匂いが鼻をついた。

そして 湯けむりの中 老人と小学生の2人の姿がぼんやり見えた

あの時から11年

あの 東北震災から 11年

当時 小生は 沖縄で 孫を抱いて

偶然 TVに流れた震災の画面に呆然と 体も心も固まり

まさか  この世とは思えない光景が目の前に

、自然を 建物 巻き込み 破壊する津波が 画面に

信じられず

会社に連絡をしたが 繋がらず

あれから 11年

未だに 故郷に帰ることができない人々が

町民 家族が バラバラになり 知らない土地で 過ごす 彼らの心情

まだ まだ 震災は終わってない