宮沢賢治と無声映画

久しぶりの我が友との神楽坂

 

路地裏の焼き鳥専門店

奥の奥の部屋は六帖ほどの和室にテーブルが四脚

この 年代では何よりも日本酒だ

編集長とライター

いぜれも出版関係で飯lを食べてきた男たち

こちらは商売で生きて来た男たち

今日は宮沢賢治の講演会の帰り

今昼間は法政大学で講座に出席

それも あの有名な宮沢賢治の勉強会に

実は宮沢賢治と活動写真の講座に参加

あの有名な  日本の詩人、童話作家、

雨にも負けず 風にも負けず

夏の暑さにも 冬の寒さにも<<<

これは小学生時代に知った彼の有名な詩ですが

今日はなんと無声映画と彼の繋がりの講演

ここから 始まり始まり

なんと弁士と生の楽曲で紹介されます。なんだかあの時代に戻った気持ちです

白黒の画面に弁士の声が教室内に響きます。

あああ 懐かしい

弁士は落語家が朗読

あっと言う間の四〇分

内容はお金持ちが月へ行くためのロケットを作り、なんだかんだあったが無事月面に着陸 そして月の怪物と戦いそして地球に無事に帰還

みていて安心して見ることが出来ました。

白黒の無声映画 思い出すのはチャップリンの映画が思い出されますね

そして宮沢賢治との関係とは

実は彼は裕福な家系に育ち 作家 農業 農民運動等を作家活動の合間に行い 時々上京して活動写真入夢中になっていたそうです。

我々の知らない彼の一面をこの講座では紹介してました。

100年前の真実の出来事

何気なく映画上映館を眺めていたら、

ロサ会館映画館

えっ  懐かしい名前が、脳裏に浮かんだ

今から50年ほど前、いや 半世紀前に覚えてた映画館、当時 学生時代にあの池袋を拠点として過ごした青春時代

埼玉と東京の出入り口の池袋、故郷札幌で過ごした10年ほど、親の仕事の関係で東京に、そして過ごした学生時代であるがその池袋の匂いが、どうしてか故郷の匂いが感じられた。もしかして埼玉と東京の両方の匂いが故郷と同じ感覚であった過去しれない。

その懐かしい池袋のロサ会館、確か当時8階建ての雑居ビルが珍しく、おまけにほとんど飲食店が店を構えていた。その正面の入口側でなく 裏側に映画館があった。そして映画館の上映の看板は 色豊かな色彩にこぼれんほどの笑顔をこぼしていた美女軍団 いわゆるピンク映画専門の映画館であった。

当時青春ど真ん中の友達との合言葉は オイ 行こうぜ この言葉で仲間と連れ添った。

あれから50年 現在その映画館は個性的な映画を上映する専門の映画館になった。今回 上映の題名は

福田村事件

今から 100年前 明治から大正へと時代が移り変わり、特に大正は新しい思想の 大正デモクラシーなる思想が広がり、混乱が始まった。

その最中に震度7,9の地震が東京 横浜、房総地方などに甚大なる被害が起きた。

関東大地震

被災者 約190万人   死者 約10万5000人

 

いわゆる電気、水道、道路、鉄道などのライフラインで大いなる被害が発生

すべてが破壊され 甚大なる被害が起き、その中で情報は人から人への伝言が主であった。

しかし

混乱の中で多くの流言が広がり、不安な世界に陥り、いつの間にか混乱な時間にわけもわからない流言が広がり、それに惑わされ各地で政府への不満、不信が巻き上がりそのような中、世相を混乱に陥れる事件が起きた。

それが 福田村事件

 

 

不安から各地で自衛団を結成。ある意味、無法地帯が各地に出来き、その中で戒厳令が東京、神奈川に発令された。まさに混乱の中で福田村にも避難民から朝鮮人が略奪、暴動、放火の情報が流れてきた。

そして、偶然 村に立ち寄った15名ほどの行商人が巻き込まれ、村の自警団により暴行 殺人が起きた。まさにあやふやな情報に巻き込まれ各々が集団心理により、村人が暴走して人の命を殺めた。

これが福田村で起きた真実の事件である。

これは今の時代でも他人への誤った情報があっという間にネットに広がり その情報を目にした人が面白おかしく広げ、それを信じた人がリレーの競技のように次から次へと広げて いつの間にかその情報が真実になる恐れがある。

そんな思いでこの映画は心に響く作品である。

山ちゃん 今 家にいるの?

「今 近くにいるから」

突然 友人から電話が

何も目的も言わず 突然  もしかして 古くなった記憶をなんとか 手探りに思い出したのが

まさか まさか

しばらくして

ピンポン ピンポン 玄関のインターホンが

「久しぶり、」

一年ぶりの彼の顔が目の前に

「いやあ  元気だった?」

「うん 仕事の途中だけど 山ちゃんの家にちょっと顔を出そうと思ってね」

何十年間の彼からの二人だけの何気ない言葉を交わし そして

「これ 持ってきた」

新聞紙に包んだ箱を開けて見れば

「今年は まあ まあかな」

松茸が目の前にどんと箱いっぱいに広がっていた

「うわあ すごいね こんなにたくさん」

「二日前 故郷に帰って 山の仕事を村の人と片付けて いつものようにみんなで秘密の場所で取ったんだ そしてすぐに徹夜で東京に帰ってきたんだ」

何気ない話をしてるが 小生には今年もありがたい贈り物である

彼のふるさとは岩手県 そして 上京して仕事を通じて彼と知り合って三〇年 お互い仕事が忙しく彼との顔合わせは一年に一回ぐらいである 今 小生は仕事を引退してるのでほとんどかれとの交流が途切れてるが しかし

いつもいつも いつものように 突然

「今 近くにいるから 行ってもいいかな」

今年も夕方 彼の合言葉に

もしかしたらと 頭の中は松茸の姿が

そして 「せっかくだから少し家の中に入ってよ」とさそっても「いや仕事があるから」と いつもの返事をして彼の姿はたちまち 見えなくなった。

彼が突然来る前 ちょうどTVで 京都の松茸の初競りでなんと三本ほどで90万で落とされた画面をボーットめていたが それから数分でインターホンが

いやあ びっくりびっくり

そして翌日 上官殿が彼に教わった料理方法で食卓に

まさに これぞ松茸の王道の料理

早速 友人数人に早いほうが松茸の香りがある内と思い直接手渡した、

すぐに友人からは 「宝くじ一等に当選したみたいだよ」と喜びの声がすぐに

その時いつも彼のあの言葉が思い出す

「山ちゃん 今 家にいるの?」

あの言葉は小生には魔法の言葉であります。

 

国のため身を捧げた彼ら

毎年 毎年 終戦記念日が近くなると新聞 雑誌 TV 等で戦前の軍国日本と 戦後のいわゆる平和主義日本を論ずる風潮が多く見られる。特に近年ウクライナとソビエトの戦争が世界中を巻き込み 未だに解決の道が見えない現在。その報道の中で特にウクライナの国民が国を守るため家族を友を故郷に残し戦地に出兵する姿がTV 等で放映される。その画面から彼らの国を思う姿に我々が忘れ去った言葉が当たり前のように聞こえてきた。

そして戦地で国からの徴兵で命を捧げた兵士に対して国がどのように尊厳と感謝の心をどのように表したのか。 戦前 戦地に徴兵された時 多くの国民は兵隊を歓喜のバンザイの声で送り出してきたが、いつの間にか戦いが困難な流れになった時 戦場で亡くなった兵士に尊厳と感謝をする事を忘れてしまった。当然 異国での戦いで遺骨を故郷に持ち帰ることは困難であるが、戦いで死ぬ事は恥である風潮が広がってきた。戦争末期の困難な国難には当然戦いで勝利を手にしなければならないが、死者として遺骨として帰国出来た兵士は自宅で家族に見守られて葬儀が出来た家族と、多くの国民は赤紙一枚で戦地に運ばれ、戦死した兵隊は紙一枚の死亡通知だけをもらった家族。

国のために戦い、命を捧げた兵士の最後の儀式が消えた戦後日本の姿。かたや 米国は 戦争のため戦い死んだ兵士が故郷に帰郷した時、英雄として祝福された。そして 国の式典などでは戦士した彼らを称える歌詞を歌い上げる事が歌手として名誉と考えられてる。

混乱の時代、今 我々は何を考えるのか 当然 国防を考える時、国のため戦い戦死した後、彼らをどのように称え尊敬するのか、国が考えなければならない。

 

人の顔が見える 人の声が聞こえる

 

小生は新聞を二紙愛読してる。なぜ 二紙なのか 齢70代後半に達する年代になるとTVの画面から一方的送られる情報過多に頭の中が混乱する。ゆっくりと新聞の文章を自分のスピードと能力で読み、理解が難しければ時々立ち止まり 振り返り音読そして難しいと思えば昔は辞書での調べてその意味、使い方を調べていたが今は文明の利器であるスマートホンで読み上げればすぐに言葉の意味が出てくる。

当然 新聞は小生の人生の思想と感じるのを選択してる。一つは読売新聞 片方は産経新聞 ある意味中立的な思想の新聞と  他方は日本古来の思想がある新聞である。それでも読み比べるとやはり同じ記事でも内容の違いがわかり、小生の 上官殿との意見の話が老夫婦の円満な秘訣かもしれない。

やはりどんなことがあろうとも70年間以上 日本国にお世話になり、この国の文明、この国の死生観 この国の歴史に学び、生き延びてきた小生、残された時間の中で何を学び、発信すれば良いのか 特に今後 縁あってこの国に生命を得た若者が この国に 感謝して幸せな生き方が出来れば良いと思うのが小生の望みである。まずは新入社員に最初の教育は 人生に大事なことは人と人の結び付きである。  縁あって弊社に入社した新人社員にどのように伝えようか。彼らの以前勤務した会社ではほとんど今流行りの情報 コンピュウターで活躍していたが 弊社の建築の仕事では なぜ住宅なのか。人類がこの地上に命を得た時 必要なものは食料 水 そして住まいである。その 必要な住まいをお客様と直接 顔を合わせ 対話を重ね、今後家族の皆さまが何十年住む住宅の仕事に一生関わり、喜び奥深さなど話を新入社員にしています。。商品の売買では無く お客様との会話を重ね お客様との心の会話が始まり やがて完成した住まいで本当のお客様の喜びが頂ける。そこには当然、心と心の会話が存在してる。商品を売るのでは無く己の生きるための人生観がお客様との会話から心と心が一致しなければ感動などが生まれないだろう。商品の説明は当然お客様も調べている。お客様が一番知りたいことは担当者の生き方、人間性である。担当者とお客様の関係に問われるのは信頼関係で、人との心の会話が出来るのかがいちばん大事である 当然商品もあるが、それ以上自分の人生観がどれだけお客様の心を掴むのか

住宅が完成した時、住まいに命を新たに注ぎ その現場が完成してお客様に引き渡した時 記憶に残るお客様との途中の現場での打ち合わせで何十回のお客様との会話 それがすべて心にキラキラと輝いてる。 本当に真剣勝負の世界をお客様と共有して初めてご満足の言葉を頂ける。建築を通じていつの間にか商品知識だけでは無く 人と人との出会いから学ぶ大きなご縁。ある意味お客様に育てられてる。そしていつの間に、人として生きることの感謝の心が湧いてくる。

そしていつの間にか彼らの顔が明るくなり、自身に満ちた行動 考えが見えてきた時、小生は心が震えて来る。 彼らは縁あって知り合いになったお客様の住まいのリフォームで微笑みを持って日々生活してるお客様の姿を拝見した時この国に生まれた喜びで感謝すると思います。

建築はある意味、前近代的世界と感じてる方がいると思いますが、学ぶためコンピュータなどの近代的機器は少ないです。しかし 人から行動で、声で、学ぶことが多いです。人と人との会話が溢れてる世界です。当然その中には上司の一方的なアドバイスがありますが すべて先輩から学び 上司から学ぶ つまり人から学ぶことが多いのです。また、現場では職人からも大いに学びます。パソコンの画面を一日中眺める世界ではありません。人間関係のトラブルもあるでしょう しかし それがすべて人間の世界だと小生は思います。

小生は社員に気がつけばいつの間にか声を出して注意したり褒めたりしてます。最初は彼らも戸惑いがあると思いますが おそらく怒られることが少ない年代ですからですね。しかし七〇代半ばを経た小生はこの国への感謝として若い人、あるときは役員にも声を出しますね。先輩が元気にならなければこの国は寂しくなります。

大声で注意をします。大声で褒めます。

弊社の会社の理念です。

正しい考え 正しい行動 正しい結果

山口康人

 

国歌斉唱のとき

 

国歌斉唱

この頃 スポーツの国際祭典での国同士の戦いでは勝利した国のチームの選手が誇らしげに国家の歌を歌い上げる場面を良く見ることが多い。当然 心の奥にはその国の民族の一員として命を得て国への感謝を表明する舞台である。そこには国を愛し 民族に誇りを表す舞台でもある。その国の民族の一員として命を得て国への忠義心が生まれ来てる。ある意味 国を守り国に育てられてる。一心同体の心が勝利の場面で表せてる。 国をたたえ、民族をたたえ すべての勝利は国の誇りとして称える気持ちである。

当然国家斉唱の時 正面を見て口を大きく開けて国歌を歌う選手の顔は清々しく 本当に国のために練習し そして戦い 勝利した顔である。

しかし 日本の選手はどれだけ国歌を正面を見て歌い上げる選手はいるのだろうか。つまり国歌を知らない選手が多いのである。前を見ない 声が聞こえない おまけに監督までも口パクの場面が時々見えてる。

そんな場面に怒りが湧いてくる。どこの国でも当然それぞれの民族が存在してる。その民族の団結を表すのが国歌である。いつの間にか 国の歌を覚える 歌う場面がすくなくなってる昨今 悲しいのは小生だけであろうか

 

 

今年の敬老の日は

差出人は息子の孫から

もしかして もしかしてと思い 開けてみれば

いつまでもお元気での文字が

なんと カステレ  大好きですぞ

そして 表面に

いつまでも お元気で

そして  鶴と亀の絵柄が

食べるのがもったいなと思いながら 口の中に

今までいろいろな場所で 美味しいカステラを食べましたが 七五歳のカステラ  最高の美味しさが口の中から

心に

息子家族の顔が浮かんできましたね

今年の敬老の日は

娘家族から 息子家族から お祝いをもらいました。

幸せものですね

当然 上官殿のおかげです

最敬礼

さあ

げんちゃん 君にも美味しいカステラをあげようね

世界一のありがとうを贈ります

沖縄から 荷物が

えっ  なんだろう

開けてみると うわああ うわあ

孫たちからだ

シイーサーだ

沖縄では家の守り神として 事務所 食堂など人が集まるところにはシーサーが鎮座されてます。人に幸せを運ぶ神様として沖縄中にシーサーが

大変上手な字で ラブレーターが

じじ ばばへ

嬉しいな マッキー

 

朱色のシーサーと 黒のシーサーが目の前に

遠い 沖縄からはるばると じじ ばばの家に

ありがとう

 

それもなんと手作りの世界に一つのシーサー

ジジとババは力が湧いてきました。

孫の力は世界一です。

忘れてはなりません

三人の孫を朝晩の食事 送り迎え そしてうどん職人として日夜頑張ってる娘

君の心遣いに頭が下がりますよ。

世界一の娘に 世界一のありがとうを贈ります

吉原と言えば

当然 俄吉原の芸術的日本伝統の舞台を見たあとは、、、、

スタミナの馬肉で有名な 馬肉専門の

木造建築の伝統の建物

壁には筋肉バリバリの馬の絵画が

うわあ  たくましいいね

新鮮な馬肉が目の前に  ドカンと

スタミナ満点 本当かな?

これは馬の どこの部分かな 確か内臓のあの部分かな

説明を受けたんだけど  忘れました

鉄鍋に馬肉と野菜と豆腐などがデーント

スタミナを付けましょうか

但し お酒が入ると 馬肉より お酒の世界に 我が友よ 大丈夫か

でも楽しいお酒であれば OK

高校時代からの友よ

飲んで 飲んで 飲まれて飲んで ついつい 奥様殿の顔が浮かんで来ましたぞ

こちらも30年来の友です

共に70代半ばの年齢の男の話は 当然

健康 健康 どこか悪いところは?

奥様に迷惑は?  大丈夫か

共通の話に花が咲きました

さあ 眠くなったから 早く帰ろうかな 吉原俄を鑑賞して馬肉を食べて お酒を飲んで

さあ  帰ろう

奥様のもとに