あれから 二年が

「ここは胃カメラ専門の病院ですので 大学病院を紹介します」

先生はこのうるさい患者を早く他の病院にと思いすぐに手配をした。その時 小生がもし診断に文句を言わなかったら 胃薬を飲み続けていただろう

早速 渡された紹介状を持参して 大学病院に

病院では改めて MRI で検査した。

担当の四〇代前後の女医に 「やはり悪性リンパですね」と告げられた。そうなれば今後どのようにすすめればいいのか まさにまな板のコイの心境であった。

テキパキと説明する女医にさすが大きな大学病院は違うなと関心した。

まず、検査をしましょう。「山口さんのがんの発生場所は胃の後ろ側のリンパに腫瘍があります。何らかの理由で悪性の変化してがんとなりました。今後のためどのょうな抗がん剤がいいのか調べます。そのため 背中側から注射をして悪性腫瘍の一部を取り出して調べます」

「えっ  先生 それでは注射で背中側から刺すのですか」

「長い注射針で腫瘍まで指して腫瘍の一部を取り出し調べます。山口さんはベットにうつ伏せになっていただければあとは先生が手術をしますので時間は二〇分ぐらいで終わります。痛ければ手を上げてください」

「わかりましたが長い注射針を背中側から胃の臓器までであれば痛みがありますね」

「大丈夫です 部分麻酔でしますので」

テキパキと手術の段取りを話す彼女の姿に さすが大学病院は安心だなと思い 今までの個人病院の先生方の顔を思い出した。 そして 手術日を決めて 帰り道 上官殿とさすが大きな大学病院は違うなと感心して家路に向かったが

今や がん患者が当たり前の時代になり まさか自分がと思ったが全て神様のおぼし目と運を受け入れることと決めたが

まさか それから 病院先生方との戦いになるとは夢にも思わなかつた。

 

 

あれから二年が

第一回

「 山口さん  実はがんです、、、」

「えっ、、私がですか?」

外は夕方になっても まだ夏の日差しがキラキラ 輝き外の風景はまだ熱気が残っていたが まさかこの俺が、、

診察室はまだまだ 患者の息吹が残っていた。先生は机上に置かれた診断書 MRI 撮影写真など 自分に関する健康診断書を見ながら静かに説明を始めた。

先生の話を上の空で聞きながら 記憶を思い越した。

今から二ヵ月前頃、お腹が張り 無理して食べると 苦しくなり 食欲はなくなり 常に胃のあたりが重く 時々吐きそうになった。さすがに 病院嫌いの小生も重い腰を上げて、胃カメラ専門の病院に駆けつけた。

結果は胃の内部の写真はきれいで何も問題ないとの診断であった。帰りには胃の薬をもらい家路に向かったが

しかし 二週間の日が流れても 痛み 苦しみなどお腹の膨張感で苦しみが続いた。先生に今の状態を話ししても 少し辛抱してほしいとの説明であった。しかし この状態で薬だけ飲み続けることに不安が湧き上がった。

そして セカンドオピニオンを考え 次の病院に診断をしてもらったが 以前の病院と同じ診断結果であった。胃カメラの写真を見ながら説明を始めた医者であったが 患者の体も触らず写真を見ながらの説明に怒りが湧いてきた。

そして 医者の診断結果の説明が終わった時 「先生 目の前の患者が痛みで苦しんでいるんですよ、」思わずおおきな声を上げた。夕方の診断室に私の声が響き 看護婦などは思わず仕事途中の手を休めた光景が目に入った。

小生の剣幕に驚いた医者が MRI 検査を勧め近くの機器が揃ってる病院を紹介してくれた。

その検査結果をすぐに大きな封筒に頂き、内科の病院に持ち運んだ。

しかし 机上の診断書に 「悪性リンパ種」の文字が目に入った。信じられなかった。

再び 医者に 「私がですか 本当ですか」 ついつい声が大きくなり 医者は腫れ物に触るように 「ここは大きな病院ではありませんので近くの大きな病院を紹介します」と一言で終わった。

まさか それから、自分の体を守るのは自分だけである事実に初めて気がついた。

そこから 医者と私の戦いのスタートであった

 

 

 

神楽坂で 新入生一年生です

二年前から 習字の勉強に

昔 むかし 学校で集団で学んだ習字

真っ白な紙に 墨で真っ黒に浸した筆に最初の一筆

そう言えば 最初はたしか新聞紙に練習で書いてましたが

いつのまにか両手は もちろん 顔までも墨で 真っ黒に そして服までところどころに真っ黒な墨で汚れてました、

そして家に帰れば 母から怒られましたね そんな思い出があります。

今 七〇代になり 昔を思い出し 月に一度だけ 教室に

気分は最高ですぞ

新入生一年生です

ただ楽しければ いいです。

今から 難しい習字の勉強は 必要ありません

そして 今回は 小生の名前の勉強です

それも朱色で先生のお手本を参考に

そして小生の 名前を 真っ白な紙に書きましたが

どうですか

上官は 今回は?

うわああ 読めません

しかし なんとなく伝わってきます

その花の絵を書いてますよ

アレッ

この漢字は  源太、、、

今 我が家で買ってる柴犬の名前だ

まさか 習字の勉強室で 我が家のかわいい犬の名前を

源太 良かったね

そして何ということでしょうか

似顔絵と その横に

犬の肉球の似顔絵だ

すごいね

まさか 名前と似顔絵とそして足の肉球

よくかけてます

 

楽しくなければ 習う必要はありませんね

バーラが咲いた バーラが咲いた 真っ赤な

音楽教室に行く途中に

バラに囲まれた家が

住まいの正面にも

本当に家中がバラに囲まれての住まい

 

ここまでの手入れなど 大変ですね

 

そう言えば この家の主が 日々 庭の手入れ 正面に植物の手入れなどをしていたのを 時々 見ていましたが

いつの間にか バラのお屋敷に

赤 白 ピンク 青 などのオリンピックのように国際色豊かな満開のバラのオリンピックに

金メダルはどれかな

ついつい 人生はじめての バラに囲まれての記念写真

いかがですか

バラと熟年青年かな

東福寺展覧会に

京都の東福寺の展覧会が 上野 美術館で

それも五月七日まで

慌てて 上野に

ランチはどこで食べようかと  そうだ

今日は平日であるので 混雑はないだろうと

ランチをアメ横でと

しかし 甘かったね

各国代表の観光客が 店先まで くつろいだ様子で

ビール 両手に

perapera わおお  解らない言葉が 溢れてるよ

ここは外国か

昼食食べる場所は 観光客だらけ

追い出されて

一人 パンと牛乳ビンで  パン屋さんで

 

寂しい 昼食だ 牛乳を飲みながらの昼食は 小学生時代であるので六五年以上の思い出

まさか 上野で思い出すとは

さああ 目的地だぞ

東福寺   締切は五月七日まで

なんとか 間に合ったね

この頃  自撮りが うまくなったのかな

素敵な女優の木村さんが音声のマイクから素敵な声で説明してくれる

嬉しいいな

内部はほとんど撮影禁止

しかし この 一角は OK

京都の秋の紅葉を いや 東福寺の境内からの観光スポットの場所を復元して撮影OK

なんだか 話がバラバラですので 少し まとめましょう

東福寺とは

京都の禅寺の中心として 有形な禅宗の中心人物を

次回 東福寺の由来など にわか勉強して ブログに書きましょうね

なんと 沖縄から、、、」

届いた 娘家族からの届きもの

えっ

なんだろう?

結婚記念日 もしかして 今日が

ガッンー

たしか去年も 今日はなんの日?と

聞かれたことがありました。

来年は絶対忘れないぞと

しかし しかし

娘からの 結婚記念のプレゼントに 思い出しました

ごめんなさい

すごいね

生花を加工して 生花として 全国に送ることが出来るんですね

げんちゃん

今日は 結婚記念日なのよと 教えてる上官殿です

絶対忘れないぞ 来年は

四八年間の結婚生活

色々互いに苦労して 小生七五歳まで

やはり お前が一番ですぞ

げんちゃんと共に 来年の結婚四九年記念

そして 五〇周年

金婚式ですぞ

あと二年 頑張りましょう

どうぞよろしく

上官殿  最敬礼

また 友が、、、、

急遽 新幹線で 四国に

あまり体調が良くない時 学生時代の友人が亡くなった連絡が

えっ?

2月にも 友が亡くなったとの連絡をうけたが>>>>

まさか 四ヶ月後に  また友が

落ち込む気持ちを押さえつけ なんとか新幹線に

上官殿が無理をしないようにと言ってくれたが

友の顔が浮かぶ

なんとか東京駅に

いつものように駅弁を しかし 食欲が進まない

九州と静岡からも友が駆けつけてくれた。

卒業してから 一年に一度 それぞれ持ち回りで

全国を旅行していたが  そういえば何回だろうか

おそらく三〇回以上の旅行を

六人から 今は三人に

寂しさが胸にしみるが

友の元気な顔を見て少し 気が紛れたが

そして友の霊前に手を合わす

思わず 写真の友の笑顔が 何かを語りかけてるように感じる

今宵の宿は 四国  金毘羅温泉

四年ぶりの再会であるが 一人 いや二人抜けて

三人の温泉宿

久しぶりの 静かな夕食

その三人であるが 小生は がんに そして他の二人も

心臓病で 手術を

思わずともの方を抱く

率業してから五〇年以上の時間の流れ

お互いいたわり 奥さんを大切にと 話が進む

お酒 料理もどこかに

五〇年分の話が進む

亡くなった友の分も これから健康を第一にとお互い約束して、、、、

来年の旅行を約束して 友のいびきを聞きながら眠りの世界に

フレー フレー

渋谷?

今日のコンサートは若者の街 渋谷ですぞ

思わず 思わず あの人混みを見て 疲れるだろうと 思いつつ

丘 みどりのコンサートに

TV で 彼女の素顔を見て 歌がうまい また かわいいなどの訳のわからない理由で 上官殿と 渋谷公会堂に人、人に囲まれて 駅からようやく 会場につきましたが

途中 我々と同年代のおとこの人から渋谷公会堂はどこかなと聞かれました。

我々の年代は はっきり言って渋谷では目立ちます。

会場に到着

 

うわあ、同じ年代の仲間が ハッピッの背中にみどりの文字が

応援団ですぞ

凄いな

内部は写真禁止ですので

入り口で

パチリ

当然 会場入口には

花 花が 満開です

我々夫婦も いまの時間が 満開ですぞ

そして 約 二時間のコンサート

なんと彼女 一人で熱唱

応援の歌手など頼まなくて 一人で 本当にすごいですね

そして 我々夫婦も 早速 彼女の応援団に参加しましょう

彼女のステージを見て ここまで来るまでの長い道のりの中に当然は 人知れずの涙、努力の賜物があったのでしょう。

どんな人生でも必ず経験する長い道のりの中で出会う悲しみ 苦しみ そして勝ち取った喜びがありますね

人生に必ず出会う様々な出来事から逃げないこと 苦し事の先には喜びがありますね

頑張れ 丘みどり

フレー フレー

みどりちゃん

豊玉音楽教室改装工事が

生徒としてお世話になってる音楽教室の改装工事が始まりました。

外装 防水 内部回収 看板工事など

見違える工事がスタート

まずは 既存看板撤去

その後のモルタル補修

赤の車に負けないように 素敵な教室にします

五階建ての外装工事が今日から始まりました。

最初に足場 高い場所での足場施工は安全に組み立て

ネットで建物全体を囲い

もしものときの施工上の安全を確保

足場 塗装 防水 内部リーホーム 電気 照明 看板など

後期は6月初旬まで予定

どんなに素敵な音楽教室で完成するのか 楽しみにしてください。

生きる

桜の花が春の訪れとともに 一年に一度 この世界の桜花を歌い、人々から讃えられて、やがて一年に一度の祭りの終焉となるが

しかし 翌年も翌年もその姿を永遠に人々の瞼に映し出される。

まさにある意味 永遠の時を生きると考えるが

しかし 我々は どうだろうか

上官殿から進められ 二人で足を運んだのが

英国映画

生きる

黒澤監督の 永遠なる秀作をヒントに

 

 

 

 

 

がんを罹患した主人公が 最後に自分の生き方を変えて、

生きるとは  命とはを考え

この世に自分の生きる意味を考えた結果

どのような行動をしたのか

全てを投げ打って 生きる証を求め 最後に彼が決めた行動は?

昔 黒澤監督で作られた 同じ「生きる」映画

日本と英国の映画で上映されたが

表現の違いに驚かされる。

この黒澤監督の映画を リバイバルとして作り上げた英国の監督 俳優 脚本の美しさ

凛とした中に 心 打たれる 感動 恐ろしさ

人生 初めて 上映後 小生は

拍手をした。

仲間と観るのも 一人で観るのも よし

 

ぜひおお勧めしたい秀作である。