ここは?

新宿区で有名な 新宿御苑

その広さ とにかく 全部見学すると 3時間以上 かかると思いますが

とにかく 緑 緑の魔法の森林に迷い混んだ気持ちです。

公園の中に中国風 日本和風 等の建物があちこちに

大きな池の周りで ちょっと立ち止まり 思い切り深呼吸

新鮮なエネルギが体の中 心の中まで 飛び込み

雑念 悩みがなくなり  そして 明日への希望が 湧いてきます。 不思議ですね

緑の樹木に囲まれれば 元気になるといわれてます。

電車で新宿駅から ここまで徒歩で30分

疲れましたが やはり 良かったね

こちらは 和風の建築物

池の奥にはNTT電波塔がどんんと 天高く そびえ立ってます

この風景は 自然と現代のアンバランスなでありながら

いまの時間を証明してますが、、、、、、、」

時々赤い花が 心をホットさせます。

このパチリまで2時間

そろそろ 足元がフラフラかな

全部見学できなかったが 次回に 挑戦

この大地に立つ樹木のように まだ まだ 頑張ろうぜ

山ちゃん

もしや もしや  74歳で

ついに 校長先生の協力で 完成

何を?

この CD ですぞ

なんと 小生の無鉄砲の性格が ついに

あの 有名な 歌手の吉幾三のカラオケ募集に無謀にも手をあげました

吉幾三の歌手活動50周年の記念に彼の歌から好きな歌を歌い CDにして カラオケ大会のイベントに参加

そして 遂に 完成しました

校長先生の愛ある指導で 小生の歌にピアノで伴奏して頂き 遂に完成しました

今日は贈呈式

嬉しいな  校長先生ありがとう

ついでに郵便と一緒に 吉幾三さんにフアンレターを書きました。

 

校長先生  ありがとう

いつも迷惑をかけ いやな顔をせずに 指導していただき

今回も突然のお願いに 時間を割いてもらい ありがとうございました。

これが完成品です。

歌い手  山口康人   名前が乗ってますぞ

校長先生のおかげです

そして早速  郵便ポストに

74歳 ついに 歌手デビュウーかな

応募作品の中で 20作品が選ばれ 吉幾三さんの前で 歌を披露するのです。 果たして 果たして?

夢は大きく 残された人生を楽しみましょう。

 

仏教語の慈悲に

書道教室に通って 1年

最初は月2回 夫婦での のんびりとした時間を過ごすことが一番

いつの間にか 1年の月日が流れ その間色々ありましたが

我々夫婦が 好きな書を提案して

先生に 模範の書を書いていただき それを我々夫婦が練習 今回は出かける前 TVで 仏教の慈悲の書が

何でも 日本三筆の一人 空海僧 奈良時代の真言宗の開祖で 高野山で仏教を広げた書の達人

有名な書道の達人です

その中に 慈悲の言葉を紹介されてました。これは空海僧が小生を導いてくれたと勝手に思い 先生に提案 その書を模範として ついに

慈悲の書が完成  いかがでしょうかね

 

 

すぐ死ぬんだから

怖い題名ですね

だから ついつい その題名の奥に何があるんだろうと惹かれて、、

なんと泉ピン子の一人芝居 なるほど 納得

この頃 メデアで色々と話題になってました。特に産経新聞で 彼女の芸歴が掲載されてました。小生が知らない彼女の生き様が書いてました。出る杭は打たれる 特に芸能界は様々な風評 妬みなどで 我慢することが多い世界だと思います。

そんな世界で生きてきた彼女 目を開け 目をつぶり 口を閉ざし 口を開け 大変な世界で40数年 自分の存在位置をこの年令まで存在してきたことはすごいです

どんな世界でも人は一人では生きていくことは難しく すべて人間世界 つまり 人と人のの間で人間世界があります。当然学ぶことも 苦しみも 喜びも 悲しみも すべて人間の文字はひととひとの間に間の文字が存在してます。

人間世界だから人生最終期を迎え始めた時 最後まで逃げずに乗り越えたと思う人生。

彼女も乗り切った人生を迎えたのでしょう

一人芝居 上官殿と見に行きました。舞台で生き生きと自分の人生を語ってる姿に乾杯です。

頑張れ あと少し あと少しではなく

まだ まだ 頑張れ

ここにも同輩がいるぞ

ガン放浪記-11

久しぶりの我が家  2週間ぶりかな

自宅まで 上官がふらつく小生の腕を抱えて 1時間30分 ようやく我が家に

しかし 腰が 足が 体が 安定出来ない

体重計に乗ると なんと エッ 53キロ

14キロ ダウン なんと体重計に乗った両足が骨皮に

手術前も 食欲不振で 56キロだったがそれより3キロダウン。ほとんど まともに食べなかったな

まずは風呂に入り そして食卓に乗せられた上官の手料理が目の前に

しかし 箸が進まず あれほど 体重を増やす事が健康への第一歩と考えてましたが やはり 時間がかかりました。あれから半年 体重は66キロに 今後 5年 外来で年 数会の検査が続きます。がんの寛解は5年ですのでまだまだ治療がありますが 神様からの贈り物として 上官と仲良く過ごしたいと思います。

世の中に病気で悩み 苦しみ 絶望の暗闇の中におられる人が沢山います。当然 治療に関して すべての命を専門家の医者に託すわけですが、患者 医者の関係も必要ですが人間と人間として全く平等だと思います。

ひとの心が理解出来ない医者は沢山存在します。

「何も言わない患者はいいお客様」

そんな言葉がありました。

今回の経験で 「自分の命は自分で守る」

この言葉の意味が心にしみました。

ガン放浪記-10

予定日より 3日ほど前に退院 それも小生の意志で

書けば長くなるので 割愛

迎えに来た上官と1週間ぶり 外に

「なんと なんと 外の景色 そして 空気の美味しさ 入院中はすべて 建物の外壁と 窓ガラスで そとの空気を吸うこと出来ない。しばらく近くの公園のベンチで 深呼吸  元気が出た]

また それほど入院は患者の体と心を痛める。

外の世界との遮断 何気ない日常生活のありがたさ

しみじみわかりました

これから外来で 3週間に一度 治療が始まる。

外来での癌剤治療の説明があった。

3週間に一度 病因で抗癌剤治療の点滴を受診

時間は3時間ほど 治療室には患者が10名ほど ヘルスチエアに座り 点滴を

それぞれの患者に抗がん剤の点滴が 腕から 数種類の抗がん剤が ポタ ポタ。。

なんだか命の綱引きのようですが すべて明日への希望の道標です。

治療が完了して 一日挟んで 再度 病院に

抗がん剤により 体力が弱り外からの病気の抗体が弱くなるため 白血球の注射 当然 外出は禁止

この抗癌剤治療 合計14回

朝早く 病院に そして 終了するのは夕方   疲れましたね でも抗がん剤患者のため 多くの医者 看護婦 そして病院関係の人が一生懸命に活躍してくれてる現場を目の前にして頭が下がりました。

 

ガン放浪記ー9

本当は10時手術開始であったが 時間は11時半である。

看護婦2人が小生をストレッチャーに乗せ 下の階の手術室に運んだ その時は手術への不安より ようやく スタートラインに立てた喜びが大きかった。

体を手術台に乗せられ、担当の看護婦 そして外科医の先生から挨拶を受けた。

壁側のおおきなガラス越しに おそらくレントゲンなの画像から 小生のがんの組織が映し出されて 内部の医者が 担当の外科医に位置を指示しながら 小生のうつ伏せの背中側から長い注射針で部分麻酔をしながら 胃の後ろ側のリンパのガン細胞を 外科医の先生が摂取してる。時々痛みが走るがおそらくその度 部分麻酔薬を注入してると思うが

看護婦の励ましの声 外科医の部分部分での手術の説明の声が何より励ましとなり 不安が消えていた。

30分の時間が15分で終了  良かった。

思わず 手術室の医者の先生方にお礼の声をかけた。  ようやく 一歩進んだ。

あとは小生のがん細胞に適した薬を作るだけである。

 

 

ガン放浪記ー8

ガンと宣告されて 2ヵ月 ようやく 明日は

手術日

前日の夜

「じじは 明日 手術だよ」

「じじ 頑張ってー」ハートマークのメールなどが

沖縄、東京の孫達からが送られて来た。

そして

当日 看護婦が手術前の体の検査に部屋に。

念の為 上半身のシャツを脱いで 体をチェツク

「山口さん 腰の赤い斑点は前にありました?」

「床ずれじゃないかな」

所々に ブツ ブツの出来物のようなものが見えた。

しばらく見ていた 看護婦が もしかしたら

「帯状疱疹かもしれません」

「エッ 昔 帯状疱疹しましたが こんなでなかった」

「もし 帯状疱疹だったら 手術は延期です。ウイルスが体内に入って 手術には無理です」

チョツト よくわからない 看護婦さん  あなた 皮膚科の医者でないでしょう その診断 先生に見てもらいましょう

担当の医者が来た。

部屋の入口近くで チラット見ただけで 「帯状疱疹に間違いありません」

「先生は内科の先生ですよ どうして 帯状疱疹だと断定出来ますか 間違いがありませんか?」

医者は小生の剣幕に驚き 姿を消した

専門の皮膚科の医者に見せず 判断

小生は 残った看護婦に皮膚科の先生の意見だら従うと伝えた。

「いまの時間は先生がいません」

「それでは君の診断か?」

、、、、、、。。。。

そんなやり取り20分

再度 担当の医者を 呼んでくれ

こちらの剣幕に驚き 彼女は先生を再度呼びに行った。

部屋で残されて30分

やがて担当の先生が ブルーの上着を来た男性の先生と一緒に部屋に

「山口さん 見せてもらいますか」

小生の腰の斑点を見て 一言 男性の先生が

「手術は出来ます。

「エッ 先生 手術は出来るんですね」

「大丈夫です。」

横にいる担当の先生も

「手術は出来ます」

ちょっと おかしいだろう 先程は出来ないと言っただろう

この白々しさに びっくり

湧き上がる 怒り 不信感を抑えて

「至急 手術の段取りをお願いします。」

なんとか 予約時間より 1時間 遅れて終了した。

ー自分の命は自分で守るー

この 言葉が 心に再度浮かんできた。

追伸

自宅近くの皮膚科の先生に見てもらった結果。

「帯状疱疹ではありません」

もしあの時 帯状疱疹の診断に従っていたら

確か 手術の日は再度予約を取るため 10日ほど

延期 延期であると言われた。

 

ガン放浪記ー7

「山口さん このガン投薬で 特に、、、、、「名前は忘れましたが」一番効く薬ですが気分が悪くなる人がほとんどです。珍しいです 良かったです」と看護婦に云われたが 褒めてるのか、こちらの体がおかしいのか 看護婦との会話も難しいですね

とにかく 無事 抗がん剤の試薬は 無事終了した。

あとは 背中側から部分麻酔で長い針先の注射でリンパの組織を採取する手術を受けるだけである。

ようやく 前の病院で トラブルとなった手術方法の入り口へとたどり着いた。

以前の病院では確か 組織の近くに動脈があり 傷をつけたら危ないので最終的にお腹を開腹しなければならないと言われ 不信感でこの病院に転移した。

この疑問を医者に尋ねると

[ 山口さん 造影剤を静脈に注射すれば 血管の位置がわかりますから 大丈夫です」

「エッ、、、、、、」

もし あのまま手術をしていたら お腹を開腹、、、

思わず 以前の担当の医者の顔が浮かぶ。

怒りが 再び、

「患者は自分で命を守る」

当たり前のことだが 医者と患者は平等である

改めて 改めて 自分自身に言い聞かせたが

そして 手術の日を迎えた朝

事件が起きた。

 

 

ガン放浪記ー6

検査入院 5日間

初めての5日間の入院

看護婦が日々 毎朝7時前後 部屋に訪問 体重 体温 酸素濃度 血圧 血糖値などを測定

そして 毎日の5種類ほどの薬を飲み すべて 彼女等が確認 飲み越しがないようにチェツク これが辛い

すべて 手術のためにだが 部屋で1日3回 看護婦から対面で検査する 本当に辛かった

3日目

「山口さん 今日は抗癌剤治療の薬が体に対応出来るかどうか  点滴をしますが 抗がん剤は強いですので、もしのことを考えて 心臓に変化が起きた時 看護婦がすぐに駆けつけます。」

静脈に 点滴で数種類の抗がん剤パックから 体の中に

点滴棒の上には抗がん剤のパックがぶら下がってる。

抗がん剤でも色々な種類があり 特に強い抗癌剤は赤色のパック。

「山口さん 気持ちが悪くなったら 呼び出しブザーを押してください」

ベッドに横になり下から見上げると まさに数種類のガン抗がん剤のパックがぶら下がってるのが見える。

その中であの赤色 まさに危険色の抗がん剤

果たして 体が悲鳴を上げるのか

いよいよ 戦いが始まった。