1本の電話から始まった。 第1回

夕方、会社に電話が。
電話を応対した社員が「お客様からですが、何か酔っ払ってるみたいです。社長さんは
いますかと聞かれたので、今 他の電話に出てますので、折り返し電話いたしますと答えました」

そのとき先方の電話番号は留守電になってるので名前を言ってくれれば折り返し連絡を
しますとの事ですが。。。。。
今 電話がかかってきたのに留守電とは不思議だなと思い、渡された電話番号に連絡を入れたが留守電になっており、こちらの名前を留守電に入れました。

そしてすぐに電話がなり、「先ほどのお客様からですが やはり何を話してるか解りませんが」と社員に言われて電話口に出ました。

電話口からは酔っ払ったような意味不明の声が聞こえて来ます。
耳を傍たて聞いてみますと、リフォームの現場調査の依頼です。

そのやり取りの中で、「社長さん、私 酔っ払いだと思ってるんでしょう。
こんな話し方しかできません。うまく口が回りません。」

懸命に電話口から彼の声が聞こえてきます。

そして、現場調査の約束を翌日にいたしましたが、依頼された場所は

お台場の有名な高層マンションでした。

マンション入口はホテルのように専門のコンシエルジが受付におります。

当然、部外者は入居できないようにオートロックです。

            

           

想定外?

想定外という言葉が今回の災害で耳にしました。
原発しかり津波しかり そのたびに想定外という言葉が出てきます。

今までの経験、いや人智から考えられない出来事が目の前に起きたときどのような
解決策をするべきか。

今朝のTV画面から 又 福島原発1号機の燃料棒が解けていて容器の下から
もれていたと報道がありました。
燃料棒を冷却するための冷水を注ぎ込んでいたが、燃料室には冷却水はたまっては
いません。
これも想定外なんでしょうか。
あれほど、原発の第2次災害を防ぐため、海水、真水などを燃料室に注入していたのに
その燃料室の下に穴が開いていたとは、これも想定外なんでしょうか。

今までの経験から想像できない事が発生するとき想定外というんでしょうか。

確かに、我々の人生においてもさまざまな出来事があります。そのたびにあらゆる
経験から考えて解決策を考えます。

もしかして、ただ今の現場も想定外のひとつかも知れません。

          

後部側の壁を解体してみれば、基礎、土台などはありません。

         

         
重量ブロックで住宅の構造の一部を支えてます。

想定外です。リフォームの現場では良くあることです。

そのときに一番役に立つことは経験です。今までの多くの現場から学んだことが
役に立ちますね。

             
今回の現場も新規に基礎を作り、重量ブロックと一体にしました。

            

又、既存の柱を連結金物で同様に基礎と連結しました。こうすればしっかりとした
補強施行が完了です。

           

          
初め心配したお客様も安心した様子です。

            

           

            

技術と経験です。これに勝る解決策はありません。

そんな中、施行完了したお客様から嬉しいメールを頂きました。

 「路地奥で、車が横付けできない悪条件の工事、見積辞退の業者もあったり、地元業者でも「やってあげます。」に対し、Y社長から「あなたを必ず満足させる自信があるので、私に任せて下さい。」熱い言葉を頂きお願いする事に至りました。この言葉は決して口先だけでなく豊かな経験からの提案であり、TVのリフォーム番組級の感動と満足を提供してもらえました。「仏作って魂入れず」なんて事はなく「親切な提携建築士さん」の後悔しないプランに始まり、エースの大工さん配属、一切手抜き無しの施工は、ご近所から多くの賛辞いただける素晴らしい内容でした。当初予算を若干超過した不満がありました。しかし、機能性の高い施工内容に辛口評価でも最後は「大満足&感謝」に至りました。 」

行きは大変、帰りは地獄

いよいよ東京へ向かって。。。

会津でお城を少し見てから 高速へ。。。

行きは普通であれば3時間ほどですが8時間。そして帰りは
なんと12時間。

高速道の渋滞は身動きできない状態で延々30キロ、40キロの渋滞が
続いてます。
足腰と目とそして反射神経が壊れました。

夜中の12時過ぎに我家の前で車から降りるとひざが笑ってます。

新記録です。歩いても体が中を浮いてる状態です。

強行スケジュールですが中身の濃い旅行でした。

今回は被災者の方々と直接お会いして励ましの言葉、会話をするための
旅行でした。

           

TVで映る被災者の言葉はあくまでも直接の会話でありません。
しかし、現地でお会いして、お顔を見ながら、言葉を交わすことの
重要性が確認できました。

人の言葉でなく、自分で体験して話す会話の深み、重みを心の中に
大事にしまっておきます。

疲れがありましたが、満足な旅行でした。

2,3日後、子供達の孫の様子の写真が送られて来ました。
 
           

          

            

            

           

ホットします。

孫たちの時代には今回のような大惨事が起きないことを祈りたいですね。

福島旅行ー会津若松

時間は無限大。

思いつくままの観光。

やはり、会津若松へとハンドルをきりました。中心地へと向かうにつれ
車の渋滞が始まりました。

TVの観光地はガランガランの報道はどこへ行ったのでしょうか。

少しでも 復興のお手伝いになれば思い、皆さんが足を運ばれたのですね。

小生と上官もその仲間です。そんなわけで鶴ヶ城へと。

           

           

          

1384年に築城されて何度かの改築されて現在の五層の天守閣が完成されました。
皆さんもご存知のように戌辰戦争では約1ヵ月の激しい攻防戦に耐えて、難攻不落の
名城として有名です。又、多くの犠牲を出した白虎隊の戦場です。

そんなお城は地元の人、観光客で人手一杯です。
リニュアルされた姿も春の青空の中に昔の悲劇をどこかに大事にしまってるようでした。

お城見物は、長蛇の見物客で中止としました。
何でも、お城のしゃちほこは改装を受けおった間組の会長さんの自費で寄贈されたそうです。

お城の参道に稲荷神社がありました。

           

            

            

            

今年、無事平和な生活が送れるように参拝です。

そして、なんと三角のおみくじが。

             

布切れで三角に包めれて自分の好きな色を選ぶおみくじです。
中には小さな鉱石の石が入ってます。

その石で今年の運勢が解るらしいです。
早速、上官は購入です。どんな運勢なのでしょうか。

運勢はこのブログを読む人は素晴らしい1年と書いてありました。

素敵な1年をお過ごしください。

福島最終日 ー裏磐梯、猪苗代湖

色々な出会いのあった宿を午前10時に出発。

今度の再会を約束して、宿のお兄さんともしばしのお別れ。

          

帰りは裏磐梯方面から猪苗代湖方面へと。

途中 浄土平国立公園へ。見上げれば山間から火山活動の噴煙が見えます。

            

磐梯山の噴火により大きな岩石があちらこちらに転がってます。

               

まるで あの世の世界の風景です。

そんな中、みやげ物店では福島復興の名産店が賑わってます。

            

その中に案内所で見つけたのが「お花見をしながら音楽を楽しむイベント」

場所は猪苗代湖。

時間に縛られることのない旅ですので、車は猪苗代湖へと。

湖畔に野口記念館があります。

TVではお客さんがほとんどいない風景を放送してましたが、いつもの
賑わいを見せていました。

同様に、湖畔の遊覧船も人手一杯です。良かったですね。

がんばれ東北、福島ののぼりがはためいてます。

桜です。

今年の桜の思い出はさまざまですが、福島で再度見ることが出来るとは
想像さえしませんでした。

          

         

途中のガソリンスタンドのおじさんとの話で「猪苗代町で被災者の方を
町ぐるみで受け入れてると。お互い助け合いの気持ちだ」

そのガソリンスタンドの前にも桜が咲いてました。

そんな桜を見ながらなんとなく旅先は会津若松へと

家族、、、村の関係が 第3回

夕食は囲炉裏端で。
            
色々な焼き物、岩魚ー地鶏ー地茸等を炭火で焼いて食べます。
            
こうやって昔から日本人は囲炉裏端で家族が集まり、炭火を見つめながら
食事をしながら色々な話をしたのでしょう。

そんなホットする時間が温泉の力とあわせて疲れが飛んでいきました。

翌日は、早速 朝風呂です。

朝寝、朝酒、朝湯がだいすきで。。。懐かしい歌が思わず口からでてきました。

しかし。。。

ロービーで新聞を眺める人が。

前日、内風呂で偶然お会いした被災者の方です。

            

「おはようございます。」

新聞から目を上げて

「あっ、おはようございます」

お互いの顔を確認してそれ以後昨日の話の続きが始まりました。

「突然、役場から、今日の何時まで、この場所から避難してくれ。
ビックリした。幸い家の壁などはヒビが入った程度だけど、放射能が
危ないと言われて、普通は20分ぐらいの避難外へいく道が車で
渋滞して2時間もかかった。何にも持ってこなかった。すぐ戻れると
思っていた。」
白髪交じりの彼は原発の20キロ以内の住んでる人です。
70代半ばの彼は自分達夫婦、長男夫婦、孫2人、そして妻の
母親と避難してきたが母親が救急車で病院へ入院。
今回の避難場所は3回。そのたびに環境の変化でストレスがたまります。
避難場所でプライバシーが無いことから、お互いのいざこざが出てきて、出て行く人も多いそうです。
又、子供の学校が全壊して、受け入れてくれる学校が避難場所から
離れてるので通学が困難だとも話してました。

マスコミはいいことだけ報道するが震災前の近所の付き合い、
連帯感が壊れてトラブルも発生してるところもあると話してました。

原発は被災した人の心まで壊してます。
東電の社長が地震発生時に放映された画面にはサングラスを懸けて
飛行機から現れる姿がありました。顔を見られるのを隠すためでしょうか。それから病院へしばらく入院。敵前逃亡。
そして、慌てて避難場所めぐり、それもお供を連れての形だけの
謝罪。なぜ、自分ひとりで謝罪に行かないのでしょうか。
人の心の痛みがわからない人間なのですね。

「毎日、毎日、原発の報道を新聞で隅々まで見るのが日課になった。
まさか、この年で家を奪われて、放浪生活をするとは、、、」

行き先のない生活。
避難所が変わるたび、環境の変化。
目に見えない不安。

「これまで祖先の土地を守りながら つつましく 自然と仲良く暮らしてきた。
何の不安もなかった。
朝 起きて、太陽に向かって手を合わせて拝んだ。
ゆったりと流れた時間が3月11日ですっかり変わってしまった。」

ただただお話を聞くだけです。
彼の胸のうちの思いは重いです。

別れるとき、途中で購入した甘いお菓子を皆さんで食べていただくように渡しました。
「どうも有り難うございました」

普段は何気なく使う言葉ー有り難う
私は被災者の方から言われたこの言葉を胸に今 出会ってる人、これから出会う人の間に
いつも伝えて行きたいと思います。

福島へ、、、第2回

体のアチコチから悲鳴が聞こえます。
あまり、車の運転は好きでありません。狭い運転席で長い間同じ姿勢でいると、
疲れ、そして目がチカチカして安全運転に影響が出てきます。

片道、7時間の長時間の運転に足腰が動かなくなってました。

楽しみにしていた、温泉へ。

先ずは内風呂へ。

             

扉を開けると硫黄の匂いが鼻に飛び込んできました。

内風呂は石で作られ、コンコンと注ぎ口から白濁の温泉が浴槽に注がれてます。

誰もいないと思っていましたが先客がおりました。

小さな子供「孫」と一緒に年齢60代くらいのおじさんがお湯の中に体を
沈めていました。

「どちらから来たのですか」
小生の突然の質問に戸惑いながら
「県内です」
しばしの沈黙の後 思い切って質問しました。

「今回に震災で被害にあった方ですか」

湯気のむこうのほうから

「原発で避難命令を受け、あちらこちらの避難場所を移動して 此方の
旅館にお世話になってます。」

その彼とは翌朝、ロビーでお話をする機会がありました。

次回のブログで紹介いたします。

            
内風呂から露天風呂へ

             

白濁色の硫黄温泉は山あいの中にこじんまりと姿を見せました。

誰もいません。

体をゆったりと温泉に浸り、両手、両足を思い切り伸ばしました。

全身の疲れが自然の中に飛んでいくような気持ちです。

            

思い切り大きな声をだしました。大きな自然の山の神様がしっかりと受け止めてくれました。
この開放感はたまりません。本当に自然の大きさに感動です。
誰もいない、露天風呂、見渡せば樹木の間から夕日がこぼれ落ちてます。

400年前から湧き出る温泉に時間を飛び越えて身を任せてます。
7時間の疲れがどこかに飛んでいきました。

強行軍でした。反省してます。しかし、、、第1回

目的は福島。行きは8時間。朝の7時30分、練馬を出発しました。
東北道に入ってから、車はノロノロ。渋滞が延々と20キロ、30キロと
続いてます。

パーキングに入るためにも、延々と2キロ前から車が並んでます。

ようやく、塩原あたりから動き始めて、福島西のインターを降りて、目的地の
高湯温泉の安達屋に到着したのは夕方の4時すぎ。

              

              
             

400年前に発見されたこの温泉は源泉懸け流しのお湯が日夜ふんだんに流れてます。

この旅館に着くまではトイレタイムと簡単な昼食のみです。
そして宿泊する旅館には被災地の人を避難場所として受け入れていると聞きましたので
何かしらと思い、甘いお菓子などを購入しました。

到着したときは足腰と体の痛みで全身がギチギチですね。
山あいにひっそりとたたずむこの旅館は裏磐梯スカイラインの途中にあります。

木造2階建ての古い温泉宿です。フロントと待合室はノスタジックな落ちついた
旅館です。
          

            

             

             

部屋に案内してくれた青年に当時の地震の様子を聞きました。
「木造の建物ですので、倒壊するかと思いました。下から突き上げる揺れが
続きました。慌てて消火器を持って館内を回りました。」
その当時の恐ろしさを語ってくれました。

            

            
いまだに当時のことを思い出すと身震いがすると話してました。

出発します。

1泊2日で福島へ。

山あいの高湯温泉ー安達屋ーへ。偶然ネットで検索。

大好きな乳白色の源泉の温泉が館内に沸いてます。体をお湯に浸りながら
自然の空気に囲まれて、ボーットする瞬間を創造するだけでわくわくしますね。

今年はあっというまに5ヵ月が過ぎました。
そのときは例年どうりの計画などを立てましたが、まさか今回のような
震災が起きるとは日本中、いや世界中想像出来ませんでした。

その時間の中でどのように仕事をとうして何かお手伝いが出来るのかを
考えながら仕事をしてきました。

個人として、会社として義援金等をさせていただきましたが、個人として
現地へと考えてました。

しかし、仕事の合間、又、個人としての体力などを考えるとなかなか前に
進みませんでした。

ところが宿泊する宿が被災地の人を受け入れてることを知り、それであれば
袖触れあれば何とかとの言葉がありますので、お話などを聞きながら
励ますことが出来ると思います。

上官との旅行ですが喧嘩することなく、出発します。

その後のことは 帰り次第報告いたします。