親方

旅先での食事は楽しみな一つである。熊本といえば、馬肉が有名である。しかしこのごろ、県外、及び外国産の馬肉を熊本名物と称して客に提供しているお店が多くなっていると聞いている。そんな知識を得ながら、タクシーの運転手に尋ねたら、自分の牧場を持って、馬を育てている店を紹介された。夕方の6時ごろであったが、店の前は観光客らしい人並みで一杯であった。食べ物を並んで食べることについては根本的にきらいである。連れ合いの男3人は小生に店の選択を任すとの事。 知らない土地での飲み屋街をうろつきながらの探検は楽しみである。永年の経験を活かしながらの、人ごみにまぎれながらのお店を探す不安と冒険心。 中年男旅であるので、和食の店を探した。数多い飲食ビルの一つから小生のカンが働くような店が見つかった。飲食ビルであるので、各階にスナック、小料理屋、クラブ等が狭い廊下にネオンがきらめいている。2階には同じ様な小料理屋が4件ほど肩を並べていた。小生の店の選び方はまず、カウンターを覗いて見る。カウンターの中での板前さんの白衣が清潔であること、また カウウンターの上が綺麗に片付けられていることである。板前さんが自分の調理場がだらしがないのは職場放棄と同じである。そんな経験から、2階の店を1軒ずつ、顔を覗かせながら選んだ小料理屋は奥まった場所に合った。カウンターの置くに白い清潔な白衣を着た60代の板前さんの姿が目に見えた。カウンターは綺麗に磨かれその上にはゴミ一つも見えない。いらっしゃいとの声を受けて入ると、カウンターと座敷が4部屋ほどの広さである。 30人人程のお客様で一杯になる店であった。「すみません。今日は予約で一杯なんです」親方の声にがっかりした時、「どこから、お見えですか」横から奥様らしい人の声に甘えるように「東京からなんです」「わざわざ遠くからありがとうございます。黙ってお返しするわけには行きません。お父さん、カウンターでよければ座っていただいたら」 あうんの呼吸であろうか、親方は当然、さすが我が女房といわんばかりに小生達の方に顔を向けて「狭い カウンターですが 熊本の名産と私の料理を食べて下さい。」中年男どもの喜びは座れた事と、此れからの料理の期待に胸がわくわくした。これからの時間はそのために熊本に訪問しただけでも満足であった。カウンターをとうしてご主人とのやり取り、また手馴れた奥様の会話。そして、なんとカウンターのなかで汗を出している男2人は息子達であった。親子、家族で開いているお店。ご夫婦は60代後半 男兄弟は30代である。板場の奥で料理をしているのがおにいさんで、洗い物をしているのが弟である。狭い板場での親子でのやりとり、チームワークの良さ。外から見ていても、うらやましいぐらいである。


熊本城

仕事が速く終わったので、博多から熊本へ 1時間ばかりでしたが、車窓からは九州のやさしい緑に囲まれた自然が目に写った。熊本は学生時代の旅行で立ち寄った市である。寝袋一つの気ままな貧乏旅行。ヒッチハイクでの街から街へ。寝る場所は駅前のベンチ、または、待合室など様々であった。 確か、映画館の前で補導されたのは熊本である時間つぶしに夜遅く、映画館の前で予告の写真を見ていたとき、後ろから肩をポンとたたかれて、振り返ると補導員の人が。。。。。。。。。。。 学生証を見せて、家出人の疑惑が晴れたのを覚えている。 そんな熊本へ40年ぶりの訪問。昔の時間に浸っていたが その時は見物しなかった熊本城。 西南戦争で政府軍と西郷隆盛の戦いで焼けてしまったのを、復元した木造建築城。有名な領主は加藤清正。そして、お殿様は細川様である。 天守閣は地上35メーター。天守閣に登り、熊本市内を見渡すと、やはりぜっけいかなでアル。 そんな写真の1枚をご覧下さい。


げんちゃんのお父さん


早めのゲンの散歩。いやはや、30分ほどの間に、ペットを連れての散歩する同胞の多いこと。そのうち何人から声を掛けられる。小生ではなくゲンにでアル。 中には げんちゃんのお父さんですか 冗談ではない。我輩はゲンの主人である。 そんな輩はペットを見れば洋犬が多い。頭に訳のわからないリボンなどをつけての散歩。外国は何でも平等らしいが、犬まで人間扱いとはビックリ。カタカナの名前をつけてのお出まし。昔から犬の名前はポチ、次郎、ゲンなど日本古来の名前をつけている。それが当然である。そんな気持ちでいるときに げんちゃんのお父さんとは不愉快でアル。我が上官のゲンとの近所の付き合い方法にはついてはいけない。犬は犬でアル。

70代ご夫婦のリフォーム相談

築15年の木造建築。建坪45坪
1階は20帖のリビングと8帖キッチン、そして6帖の洋間。
2階は4部屋の洋間がある。現在、お子様が独立して広いご自宅にご夫婦お二人。
2階のほとんどのお部屋は物置となっているとのこと。
そんなご夫婦ですが今回のリフォームのご計画は奥様が中心です。
キッチンとダイニングを光が差し込む空間、そして、浴槽、洗面、トイレの部屋を
全て間仕切りを撤去して、ワンルームの中に全て収めるのがご希望です。
建築当時は色々ご希望があったのだが、予算との兼ね合いで我慢してきた15年間。ようやく予算の心配がなくなったので、弊社のホームページからご自身の希望に合った作品を見て弊社に連絡をしてきた。
その作品は3年前、外国帰りの女性が築8年の建物を購入して全面リニュアルした。設計の先生とお客様と弊社の共同で完成した作品です。
1階の3部屋の間仕切り全て撤去して30帖のリビング、キッチンのおおきな空間を作った。1階の天井を取り、吹き抜けから光が部屋一杯に差し込む。階段は螺旋階段。水廻りは女性の寝室の隣にトイレ、洗面、浴室。ただし寝室とトイレの壁はガラスで仕切っている。またトイレと浴室の間も強化ガラスにしてベランダから光が差し込む。もちろんベランダの壁を高くして外部からのプライバシイを守っている。つまり寝室からトイレ、洗面、浴槽 そしてベランダと全部丸見えなのである。図面が上がってきたときビックリしたが、なんと完成したときはなんとその明るさ、広さにびっくりした。その年の全国リフォームコンテスト優秀賞の栄冠を頂いた。奥様は最後のリフォームに夢を抱き、弊社に連絡をしてきた。
設計の先生と共に、奥様の夢を実現する為がんばるつもりである

三菱グループ創業者 岩崎邸庭園


初めての写真投稿のブログです。


何とか、教わりながらの作業です。頭の中が戦争状態です。後、10回ほどしないと、


わかりません。


さて、この建物は三菱グループの創始者の岩崎邸庭園です。仕事の近くで見つけました。国の重要文化財です。戦後アメリカ軍が常駐した建物。岩崎邸庭園とご自宅が一緒に並んで建ってます。往事には1万5000坪余りの敷地に20棟もの建物が並んでいた。建築家は英国人のジョサイア。コンドルが明治10年の本政府の招請により本格的西欧式建築を設計。明治29年に完成した。洋館、和館、庭園、撞球が建っている。東京の御徒町町の近くに明治の香りがする建築が緑の木々に囲まれながら110年間の日本の歴史を見てきた。


人々の心を感動させる建物は、今の建築様式にあるのだろうか。高層の建物が天を目指して高く立ち上がっている。同じ様な高層のビル。大きいだけで皆似たような構造、デザイン。果たして100年、200年後の人がこれらの建物を見たときどれだけ心を奪われるだろうか。温もりがなく、建物との対話がなく、ただ無機質の構造の建物。何か大事な物を忘れている現代の時間の中でホットする空間です。いちど時間があったら、訪問してみたら如何でしょうか。


 

役人の答え

まいりましたより、あきれました。
今、借地権をお持ちのお客様がリフォームのご計画を立てており、ご相談にこられてます。地主は国であります。そのための相談に財務局に相談に伺いました。
様々な取り決めがあります。その中で増改築をするについて料金を国に収めるシステムです。その金額は税務署の公示価格の3パーセントとのこと。
お客様の場合は約150万円。ビックリしました。
その判断も軽微な工事ならばいらない。大掛かりな施工ではもちろん徴収です。
また おかしいのは耐震補強工事は全て増改築承諾料を徴収です。
国の方針に沿って、耐震補強をしたら、別に金額を払うなんておかしいことです。
役人の回答は国のシステムとの一点張りの答え。
建物の崩壊を防ぐための補強工事を施工するのに別途お金を払うなんて納得がいかない話しです。

日本全国の駅を訪問

すごい人がいるんですね。昨日のTVで無人の駅を含めて、私鉄、国鉄、都電、市電など駅と証されるところを全て廻り、そして必ず駅の改札を出ることで、全ての駅
確か、9600駅を訪問した人物が放映されてました。
父親に人ができないことをやれと言われ、50代半ばからのサラリーマン生活をしながらの全国駅訪問。毎週土、日曜日、そして休日等全てを宛てての偉業。
使ったお金が400万。また、感心する事は、駅の改札を出たら、次の時間までの短い間、駅の写真を撮影、簡単なスケッチなどして、次の列車に乗車。
観光なんて考えもしていない。ただ、全国全ての駅を訪問するだけに時間を割いてきた。毎年、新駅が50駅ほどできるらしい。時間表のページの上えに小さく掲載されている。それを見つけて出発。おなかがすいたら、各地の駅弁を食べると、思っていたが、そんな贅沢はせずに、おのぎり、カシパンで済ませる。
8年の間での訪問で一度も駅弁を食べていないと話していた。
「何のためにするのですか」との質問に仕事だけで人生は終わりたくない、
私の場合は全国の駅を踏破することに生きがいを見つけましたと嬉しそうにインタービュウに答えていた。
その時の、嬉しそうな顔がまぶたに浮かぶ。
仕事以外に全てをかけて夢中になれるものは何かあるだろうか。
残り少ない人生に仕事以外のチャレンジを見つける。
頑張ろう。

高校時代の友人

先日 高校時代の友人2人と夕飯の時間を作った。
昨年 高校時代のクラス会の幹事の役目で、知り合いのJAZZライブの店で25人ほど集めて開催した。内訳は8割が女性、残りが男性であった。男性の形見の狭い事、また、話題の少ない事など十分な時間が取れないので、男性だけの集まりを持つべく、声を掛けた。たった、2人だけである。寂しいかぎりである。
男 60歳を過ぎると、髪の毛と共に、足元も薄くなるらしい。仕事を離れ、時間のもてあましと共に、家庭、社会、そしてお金まで縁遠くなってきた。
存在価値がなくなる傾向でアル。それであるのか、このごろ、田舎暮らしと証して、見知らぬ土地での自分自身の再生を図ることに生きがいを見つけようと考える輩が増えている。そんな時必ず反対の旗を揚げるのが、永年連れ添った妻、別名
上官である。60代での仕事からのリタイア、その後の人生、いや 時間の過ごし方が問題である。
先日の友人2人は、一人は大手の出版社を定年退職して、午前中は図書館、午後は
妻の父親の介護をしている。もう一人はコンピーユウター会社を同じく定年退職して、一週間のうち2,3日は友人の仕事の手伝いである。
いずれにしても、酒が進むうち、こうやって外で酒に酔いながら、利害関係のない話がいつまでできるのか、体のことを考えると心配となって来るとの話しが出てくる。
小生はどうあろうか。
まだまだ、前進のみである。命の続きの孫 2人誕生、そして、新人3人の入社など、ゆっくりしている暇がない。
朝は 柴犬ゲン様のお供、会社では社員の先頭に立ち、やかましく怒鳴りながら、
真夜中に起き、色々と悩み事に頭をクラクラさせながら、眠れぬ時は深夜の一人酒、隣室からは上官の寝息とかいびき、付き合ってくれるのは、げん様だけである
お客様が応援してくれる間は、このような日々が続く。
嬉しい限りである。

黒柴ゲンの一日

12歳である。人間で言えば60代のおじさんである。今では、我が家、そして会社の一員です。朝起きると、散歩は小生の役割である。30分ほどの散歩であるが、その間、5,6匹のお犬様と飼い主に出会う。本来、柴犬は日本犬であるため、簡単に他の犬と仲良くはならない。向こうから、尻尾を振ってきても、うなり声をだし、相手に飛び掛ろうとする。そんな事が度々起きるので、このごろは相手を避けて散歩している。たまには、向こうからげんちゃんのお父さんと呼びかけられるが無視することに決めている。そんな散歩が終わると、上官「我が女房です」が作った朝食を食べる。それから、上官が洗面所で身支度をしていると、その前で座って待っている。そして何のためらいなく、上官と一緒に会社に出勤である。
会社の階段を急いで上がると、社員全てに朝の挨拶を鼻を鳴らしながら体を摺り寄せる。それから、彼の指定の場所に座る。その場所は会社の入口である玄関に腰をすえながら、外を見ながら、怪しい来客には吠えまくる。
上官の帰宅の時間までその場所で番犬をしている。
娘が残していった宝物が、黒柴のげんでアル。