いや、ビックリデス

吉良上野助

西三河の領主だった吉良の地元では名君で有名です。
あの有名な殿中での赤穂殿様との争い。それからは悪役として世の中に広わたってます。
吉良様で調べれば

吉良荘一帯は矢作川下流の肥沃な沖積平野であるが,たびたびの洪水で人々は苦しんだ。そこで吉良義央は直接西尾藩主と話し合い,一昼夜で築くことを条件に堤を作ることの許可を西尾藩から得た。付近の郷民総出で完成させた。それが別名「一夜堤」とも言われ,現在も残る黄金堤(こがねづつみ)である。また,1686年(貞享3)ころから妻富子(とみこ)が重い眼病にかかり,身延山に願を掛けたところ不思議と治癒した。そのときのお告げに従って矢崎川河口約90町歩の海を干拓して開いたのが富好新田(とみよししんでん)である。その新田の一部を塩田にして「饗庭塩」(あいばえん)と名付けて販売もした。領地を赤馬に乗って巡回し,領民に気楽に話したという伝説もある。「忠臣蔵」

果たして、果たして

それで訪ねたのは

吉良の殿様を祭るお寺です

中では寺守といいましょうか。このおばあちゃんが詳しく吉良様の業績を話してくれます。

お寺の境内では

赤馬に乗って領地を回り、領民の苦情を聞いていたそうです。
それで館内には全国から赤馬の人形、おもちゃが飾られてます。

果たして、彼は赤穂浪士の話のように悪役でしょうか

帰りの食事は当然

ひつまぶし。

おひちの中で混ぜて食べることからひつまぶし。

2泊3日の大学時代の友人との旅行ですが
中身の濃い時間でしたね。

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