葛飾北斎記念館のあとは
同じく 北斎が天井に描いた大作 鳳凰の図の岩松院へ
紅葉が迎えてくれます。

ガンショウイン
岩松院
開創は文明4年雁田城主の荻野備後守常倫公の開基で、開山は不琢玄珪禅師。本堂内大間、21畳の大きさの鳳凰図は葛飾北斎晩年最大の作品です。本堂裏手には、戦国武将・福島正則の霊廟があり、また俳人・小林一茶が「やせ蛙負けるな一茶これにあり」を詠んだ蛙合戦の池もある。◆一茶句碑「栗拾ひ ねんねんころり 云いながら」・「痩かへる まけるな一茶 是に有」
素敵でした
二一条の天井画に踊る鳳凰
まさしく 北斎八〇歳の大作
七年前 上官と訪れた岩松院
今回は 社員 総勢二八名での再訪問
同じ場所を再び旅行することで 昔との比較で 現在の自分が
わかることの素晴らしさを再確認しました。
幸せですね
バスに戻ると 男性はアルコールがまだまだ体に残り
夢の中ですぞ
おおい 起きろ 起きろ、、、
女性の皆さんから 私へのサプライズで この場所へ案内
どこかな
日本酒の酒蔵ですが、、、
この前掛け なんと龍の姿の前掛け
小生の龍神様への 思いを叶えてくれて この酒蔵をみつけてくれたんですね
社員に恵まれて 嬉しいですね
ありがとう御座います。
上官の一言
「この前掛けで早速 一人で料理ができるね」
龍のマークの地ビール
さあ、今宵の宿に到着しました。
湯田中温泉? よろずや
寛政年間より続く、著名人にも愛された
信濃国を代表する湯宿。
江戸時代の湯田中は、松代藩の湯治場としてのほかに、北国街道の発展に伴い、
善光寺詣での後の精進落としの湯として名を馳せました。
文化文政時代、湯田中をこよなく愛した俳人小林一茶は、その著「田中河原の記」の中で
「湯のある所は山陰ながら糸竹の声常にして老いの心も浮きたてさながら仙窟に入りしもかくやあらんと覚ゆ」
と、当時のさんざめきの有様を書いております。
よろずや
真田のお殿様にも愛された、
長命長寿の湯。
奥信濃の山懐に抱かれた「湯田中温泉」。文献に残る開湯は約1350年前、僧智由が発見し、この湯を「養遐齢(ようかれい)」と名づけたとされています。(遐齢とは長命長寿の事)長命長寿の湯として、病を癒し、心を爽やかにする、霊験あらたかな温泉として、 松代藩の真田氏をはじめ、俳人小林一茶や初代陸軍軍医総監松本順など多くの人に愛されてきました。
3つの源泉をもつ「よろづや」では、登録有形文化財に指定された純木造伽藍建築の「桃山風呂」や野趣あふれる「庭園露天風呂」など、趣溢れる自慢の6つのお風呂で長寿の湯をお愉しみいただけます。
日本伝統和風旅館
さあ 着替えて お風呂だ
小生を助けてくれる 社員に囲まれて この笑顔
始まります
いよ いよ宴会がスタート
幹事のSさん あとはよろしくね
