僕は幸せだな、、。

光が丘

昔 この場所に米兵のキャンプ場所が有りましたね

周りは大きな壁で囲まれ 隙間から覗いた時 青の芝生と真っ白な住宅が見えたのを覚えてます。

その跡地に大型の ショッピングセンター マンション、公園などが完成

そしてつけた名前が  光が丘

戦争の面影がなくなり 名前も明るく人が住む街

光で明るく照らされる街

光が丘 素敵な名前ですね

そして この街に来た時

必ず 足を運ぶ お店 麻布工房

中華と 甘味処 両方 一緒に食べられます。

お昼時のランチは 中華料理と甘みものがセットで

そして この店に 小生の 大好きな 大好きな

クリームあんみつが

出ました。 待ってました。

クリームあんみつ

中華料理の店が 出す 甘味処

東京で一番 美味しいかな

 

おもわず この笑顔

僕は幸せだな、、、、、

 

そして 何気なく壁に飾れてる大きなプロマイドを見つけました。

いやあ  懐かしい

思わず タイムスリップですね

皆さん 名前がすぐ出てきますか

有名な世界のスターが小生の甘味処、いや クリームあんみつを食べてるところを見つめてくれてます。

僕は幸せだな、、、

ブラボー 綾小路きみまろ

何度か 名前 映像 等 度々 目にしていましたが いつかは 彼のステージを見たいと思ってましたが

そして 今日は上官殿と 中野区民ホールにでかけました。 すごい人ですね

やはり人気があるのでしょう

それも熟女の方々ばかり 男性軍の姿は?

 

ホールの中はご覧のように ほぼ満席

芸歴50年以上 いろいろな歌手の司会で全国を周り いつかは 自分で自分の芸風を作り 劇場にお客さまを呼ぶ夢を持ち そして 今 70代の年齢に到達

果たして初めて聞く彼の芸風は?

いやあ すごいですね

ひとりで1時間30分 舞台に立ち、熟女の皆様との軽妙なやり取り、

観客の熟女の   皆様相手に体 病気 心 ご主人さまとの生活など嫌味にならないように笑いのエキスを所々にかけそれを素晴らしいトークで場内を笑いの世界に

いや すごいね 小生が同じことを言えばたちまちセクハラですね

本当にここまで頑張ってきた彼の時間の後ろには人一倍の苦労があったのでしょう。 苦労人と言えば言い過ぎかもしれませんがしれませんが、一筋の道を極める男一本の生き方ですね

尊敬しますよ、

ありがとうございました。

上官殿と楽しい時間を過ごせました。

頑張ってください

綾小路きみまろ様

おりょうり 山月で心地よい時の流れ

まもなく 歌手の古賀さんとのコンサートの打合がありますが 当然その後 より具体的な打ち合わせのため?食事会を

彼は料理を作り 人をおもてなすことが大好きで ほとんど自炊です。

そのため彼が安心してくつろげるお店を探すのには時間がかかりましたが

「任せてね」の小生の言葉に 「楽しみにしてます」の返事

どのような食事の場所と考えました。

長年 生きてきましたので それなりの日本料理のお店を知ってますが、店主の暖かさ、ひとりで作る 当然料理への思いやり等と古賀さんがコンサートで美しく歌い上げ、観客の心を優しく包み上げるオクターブ高い声とすべての舞台をひとりで作り上げるこだわりなどを考えて、彼の生き方と一致する日本料理の店を探し下調べで 寒風が街を人を包む夜 予約をして この店に上官殿と一緒に上陸

住宅街の外れに控えめな木製のドアの入り口を見つけました

おりようり 山月

ひらがなの文字が優しく 店の看板に

ドアを開けると カウンターがすぐ近くに

小生は料理屋さんでは必ず店主が目の前でつくる場所に座り 彼がどのように材料と会話をしながら作る姿が見るのが大好きです。

いつものように はじめての店でも カウンターに

白木のカウンターから店主の立ち振舞を見て そして彼と何気ない話しをしながら、これから目の前に出される彼の作品を楽しみにしてます。

さあ この店は、、

メニュウーを覗くと何種類のコースが有り すべて各地の料理を少しづつ小皿に盛り

いわゆる京都のお万菜のように

ちょうど我々の年代にはちょうどいい塩梅かな

御覧ください。

それぞれの各地の名産を少しずつ

これであれば 全国の料理を目の前にしながら 旅歩きができますね

豪華ではなく慎ましく各地の名産の料理が人が日常の食卓に並べられたおりょうりが目の前に

 

 

最期の仕上げは

にほんりょうりの店では ご飯ですね

そうです。

お客さまの注文を頂いて作る 陶器で作り上げたお釜から鼻をくすぐるむかし懐かしいおふくろの顔を思い出しながら 出来上がったご飯をいただきます。

ひとり 黙々と材料と会話をしながら料理を作る店主

ごちそうさまでした。

お腹がいっぱいになり

残った料理は お弁当箱に包んでくれました。

ありがとう

我逢人?

今日は1ヵ月 2回の神楽坂の書道教室

いつのまにか 2年の月日が流れました。

やはり この教室の習い事は 居心地がいいです。先生を挟んで夫婦だけの個人レッスン。特にわれわれの年代で習い事の一番は居心地がいいのが一番

先生も自由にさせてくれます。

当然 小生の習字は先生から熟語の書物を借りて気に入った文字があれば 真っ白の半紙に真っ黒の墨で最初の文字を書いた時の快感   最高ですね

つまり小生の自由な発想の文字を踊らす ただそれだけですが 最高な世界に迷い込む。

この快感

さて 今日は借りた書物の題名

[ほっとする禅語]

 

 

題名に惹かれ ページを捲ると

我逢人の文字が飛び込んで来た

エッ

我逢人?

 

禅の開祖道元が師を求め続けて、出会った高僧を見て

思わず   我逢人と叫んだそうです

 

この意味は

 

 

 

 

 

 

人と人の出会いの尊さを3文字で表現

自分だけでは考え 自分だけで行動して見つける事ができない真理を 人とひとの出会いで見つけられる。

人と逢うことを大切に

人と逢える場を大切に

人と逢う姿を大切に

そんな言葉の奥深さに 深く考えさせられました。

この言葉が古文書に

 

よし 小生も

早速

真っ白な半しに

心に染み入る3文字の言葉を夢中で書き上げました。

 

1ヵ月の間に3回も

いやあ まさか

1ヵ月に3回も彼のコンサートに

75歳の男の小生が。。。びっくり

今日は高輪区民センター

 

 

最初のきっかけは 今 ボーカル サックスを習ってる豊玉音楽教室で 彼と出会いました。

彼を応援する熟女の皆様がコンサートの場所を探し そして教室に出会ったのがきっかけでした。

ピアノを引きながら 彼が歌い上げるその高音の美しさにおおげさに言えば75歳の小生の魂が震えました。

なんと3,5オクターブの音域ですが 小生にはその意味が理解できませんでしたが、実際 会場で聞いてわかりました。

天使の声 マリアさまの声かな

なるほど 彼を応援する熟女軍団がこれだけ多いのだとわかりました。

それが彼との初めての出会いでした。

初対面ながら その後 彼との場所を変えて話をさせて頂き、最期は自宅まで

彼の名前は古賀久士。

 

 

ピアノも独学で学び 最初は 路上で歌う日々が続き

ある時 音楽関係の人が偶然にも彼の美声を聞いて少しずつ知られるようになりました。

特に 「アバマリア」 はたちまち彼の歌の世界に引き込まれます。心地よいメロデーと高音の美声がたちまちホール中に広がりました。

まさに  75歳のおっちゃんがうっとり

こんな声で 上官殿から声をかけられたら、、、

終了後、後ろを振り返れば なんと観客の95%は美女軍団ですぞ

ひとりひとり お見送り

当然 順番を待ちながら 彼との話が長くなりますが、彼は丁寧に応対

さすがサービス精神旺盛ですね

当然といえば当然ですが すべてひとりで対応

本当にこの年齢 いや 後期年齢の仲間に無事入学した小生がおっかけに近い関係で上官殿と 一緒に そして軍団の皆様からも顔をしられるようになりました。

気持ち次第で目の前の出来事はまさに神様から与えられた宿命と考え 物語を作る力が必要です。

この年令では知り合うきっかけが少なくなり よく言われる孤独の世界に

全ては心が 失敗が あっても うまく行かなくなっても

神様が許してくれますよ

あと何人の人と いや 何百人の人とこの世で出会いがあるでしょうか

恐れづ 物語を作りましょう、

たった一回の人生だから

追記

3月に彼のコンサートが豊玉音楽教室で開催します。

日本伝統 漆芸典

ふと 立ち寄った会場

漆芸展

まず 漆とは?

調べました

頭にあるのは輪島の漆塗りの食器ですが

今回 改めて漆とは調べました。

漆はアジアを中心として古来から天然樹脂塗料、接着剤で使用されている

熱、湿度、また質感 光沢がすぐれて 日本人の美観に合致して漆器など伝統工芸品として今日まで芸術品として紹介されてる。

漆の原材料は漆の木です。現在 漆は輸入材が多くなり そのため国内でも植林としての活動が始まりました

樹齢15年ほどのうるしの表面にきずをつけ そこから出てくる樹液を集めそれを伝統工芸品として日本では古来重宝されてます。

夏から秋にかけて漆の樹液を採取しますが 仕事はその期間だけですので漆掻き職人の方々は当然生活が難しく そのため冬などにお酒の職人として活躍してます。

そしてその後の漆の木々は伐採されますが、次の木々が育つように 根を伝わり新しい芽が出すためなのです。

勉強になりましたね

年齢を重ねるごとに新しい知識が頭の中に入ることが難しくなりますね。

でも

以下 この会場で展示また紹介された作品です。

それぞれの伝統工芸の各界有名な方々の作品です。

ひとがたに名を残す人の作品。

ただ鑑賞するだけですが 違う世界で現在も物故となった先生の作品

名をなくしても作品が残る

素晴らしい作品を

どうぞ 鑑賞してください

また 漆を下絵として 銀粉で絵画を書き上げる作品

小生 ただただ 立ち止まるだけです。

その奥に先生方の思い 心が感じられたらいいです。

 

この世に何を残せるだろうか。

人生 70年から 100年と言われる寿命

しかし まぼろしか もしかしたら 浮世の世界をただ眺めるだけの100年か

小生 何を残すのか 何を語るのか

やはり2年前のがんとの出会いで考えることが多くなり

それがある意味 それまで見えなかった世界が見えてくることも有りました。

「医者のテーブルの上に見えた 悪性リンパがんの文字が心驚かす美しき言葉かな」

小生の拙い  短歌です。

友よ、、無念であろう

新幹線のホームで

一人で

上官殿は心配していたが

行き先は静岡

途中

車窓から富士山が

なんとなく 寂しく 見えるのは

小生の気持ちが、、、

朝 7時半に家を出発

当然は お腹が。。。

いつものように 駅弁

しかしあまり 食欲がない

富士山が こちらを見てる

実は50年以上の大学の時からの友がなくなった

5人組として 卒業後も 1年に一回

全国を旅行していたが

彼とはコロナ前 東京で 楽しい旅行をしたが

まさか 一番若く

元気な彼が

膵臓がんで 命をなくすとは

小生も2年前 悪性リンパのがんを患っていたが

祭壇には 5人組の名前が飾られていた。

息子さんを交えて 彼の思い出を語る

帰り 九州から足を運んだ親友と

こんな形で再開するとは

悲しい

肩を抱き合い

東京と九州の親友がしばしの別れの時間を惜しむ

半世紀以上の付き合いの友人が 少しずつ会えなくなる。

頑張れよ 頑張れよ

健康第一で

必ず 近いうちに会おう

酒を飲みながら 75年間の人生を語ろうか

一人ひとり 友の顔が見えなくなる 寂しさよ

親 有りて 我あり

徒歩 10分ほどに 15年前 購入した山口家の墓があります。

「遠方だったら なか なか 会いに行けないね」

上官殿のアドバイスで 自宅より徒歩10分のところに

当然 当時の小生の懐では 届くのが 難しい価格でしたが 今となっては大正解でした。

買い物ついでに なんとなく両親の姿を思い出した時

この場所で 会話をします。

そんなときは 思い切り 甘えます。

ありがたいですね

やはり まさかの がん罹患で 命が生きられ この生命は誰から頂いたと

いいろいろな考え方があるでしょか

やはり

親より 与えられた

この生命

親父  おふくろ

まだ まだ 頑張るぞ

和代も 子どもたちも 孫も

親父とおふくろの おかげで 元気に頑張ってるよ

ありがとう

なんと18年前のパソコン

小生の戦友のパソコン

色々不具合が出て しばらく ブログの更新がおやすみ

「どうしたんだ ブログが見れないで 山ちゃん 病気だと心配したんだが」

友人が電話向こうで

これでは まずいと

社員に声をかけてると

「会長 これ18年前のパソコンで いろいろな不具合で手直しが無理かな」

「ブログだけでも直してくれよ 俺 いつの間にか病気 もしかしたら死んでるかもしれない」

ついつい 友の声が思い出しました。

ようやく1ヵ月ぶりのブログ

家の明かり 新聞 郵便 TV  またブログ等 すべて外野との連絡が消えたら 当然 子どもたち 友人などが心配しますね

確か ポットのスイッチが入ってなければ 子どもたちに連絡が行き 子供たちが早速 親に安否の連絡などの電気商品が発売されてるとか

考えました。それではトイレが使用してなければ すぐに役所、子どもたち

つまり コンピュウタアーが安否を確認

いやはや ありがたいですが なかなか ついていけませんね

 

つまり 人と人との直接の会話が少ない証拠ですかな

家族構成、会社と個人の関係 友と友の関係等

むかしはお互い直接の交流で安心感などが有りましたが

この頃はパソコンなどでの会話 安心感

人と人が知り会い、会話が生まれ 物語が生まれる等等

便利が良いのか

人が怠け者になったのか

75歳の頭の中は一杯ですが

今 小生もパソコンで語ってることが矛盾してます。

人はいい加減ですね

皆さん 70代夫婦は元気ですよ

げんちゃんも

半年過ぎました

やんちゃで朝から夜まで われわれ夫婦に新しい命を与えてます。

ありがとう

銀座の夜で素晴らしい感動をもらいました。

18年前のパソコンを未だに使用

そのため ストが発生 ようやく なだめて再開ができました。久しぶりの記念すべき最初のブログは

銀座のコンサートホールで

古賀久士さんのコンサートにでかけました。

彼とは小生が習ってる 豊玉音楽教室で彼の素晴らしい歌と美声を聞き 感動して 今宵は銀座まで駆けつけました。

50人入れば一杯の会場ですが たちまち満員

ほとんど 熟女ですが 彼の美声に惹かれ 駆けっつけたフアンです。

小生の保護者件 上官殿と

20年以上の友人夫婦と

一緒に

すごいよ

彼の美しい美声に ほとんど魂が震えました

ありがとう

歌は人を感動させ 生きる勇気を与えます。

そんな彼との出会いに乾杯

これから素敵な物語を作り上げましょう

ありがとう

ありがとう

古賀さん