上官との出会い-3


寝袋ひとつで東京から北海道へ。
1ヵ月の予定でのブラリ旅
ヒッチハイクでの最初の宿泊地は仙台。大きな町であれば、人が多く、駅前も寝袋で
寝る場所も確保できると考えました。同時に食料品確保のための手相判断の場所を見つけました。どうせならと思い、繁華街のアーケードのお店のシャッターが閉まってるみせの前に
座り込み、厚紙のダンボウルに手相判断となぐり書きしてのお店オープン。
地べたにどかっと座り、地面に無造作に置かれた手相判断の文字。
今、思えば本当に怖いもの知らずの初日でしたね。
当然 1時間過ぎても、2時間過ぎても誰も近寄りません。だんだん弱気になり、やがて
人どうりが少なくなり、周りのお店の電気が消え始めたとき、目の前に人の影。
思わず、顔をあげてみれば、やさしそうなおばちゃんが立っていました。
「さっきから、見てるんだけれど、誰も来ないね」
おばちゃんは、目の前のお店で働く人でした。
お店の中から、ものめずらしそうにこちらの様子をずーっと見ていたんですね。
帰りがけに声をかけてくれて、「手相を見てくれる」の声が神様のお告げのように聞こえました。
私の第一号のお客様でした。
出された手を広げ、頭の中は朝、昼、夜が同時に始まったような混乱でしたが、
なるべく良いことだけを話し始め、ここぞという場所はあいての顔を見ながら、力強く
言いました。
やはり、悪いことより、いいことの方が気分がいいものです。
だんだん、緊張感が取れだし、神様になったつもりで、頭の中の手相の本の文章の記憶を
掘り出し、もっともらしく相手に伝えました。
「当たってる、本当にそうなのよ」
嬉しそうに声を上げる彼女の姿に本当に嬉しくなりました。
同時に自信がつき、これからの旅の食べ物の確保に安心しました。
500円の代金ははじめての手相判断のお金です。

上官との出会いー2


野宿専門の私にとり日々の食べ物の調達のためのお金は大変苦労いたしました。
相手に警戒心を抱かれづ、相手が興味を持って喜ばれる手段とは?

出発前に何気なくTVの画面を覗いていたら、若い女性が喜んでキャキャ騒いでる声が
聞こえてきました。
何でかなとその先を見ると、なにやらわからぬおじさんが女性の手を握りなにやらしゃべってる姿が見えました。
なんと、手相を見ていたのでした。
女性は手相を見てもらって喜んでいたのでした。
それまで、街角の片隅で怪しげな格好して手相を見ている姿を時々は見ていました。
まさか、TVで堂々と昼間から手相を見てもらい喜んでいる女性の姿は初めてでした。
手相といえば、悩み事を抱え、疲れ果てた大人が他人におかねを出してみてもらう、
何か、さびしい様子しかありませんでした。
そうか、手相の勉強をして旅先で若い女の子からお金を頂ければ何とかなると思い、
早速、翌日に本屋に足を運びました。
お金の種です。
ページを開けるとなにやらわからない手相の線が書いてあります。
調べてみると、生命線、運命線、結婚線、太陽線、独立線など、それを組み合わせての
手相診断。
特に、恋愛、結婚などの手相の線を特に頭に叩き込み、それの応用をそれらしく
話せばOK
さー、これでOK
後は、どこでお客を捕まえるのかが問題です。
何とかなるさーの心構えでヒッチハイクへ出発。
さて、どんな出会いが待ってるのでしょうか

上官との出会いー1


さー
あと、いくつ寝るとですね。
そんな上官との出会いは40年前ですかね 間違っていたらゴメンナサイ。
学生時代の北国のヒッチ旅でした。
1人で日本をあちこちとぶらついていました。移動手段は手を上げてのヒッチハイク。
ほとんど、トラックです。あの大きな車の助手席に乗ると、本当に象さんの背中に乗った
気分でした。深夜の長距離の運転手さんは気分を紛らすため、気持ちよく同乗させて
くれましたね。そこでのいろいろなお話がその後の人生にずいぶん役に立ちました。
あるときは、運転手さんにも同じ世代の子供がいれば、親しみを持っていただき、晩御飯を
ご馳走にナリ、おまけにお小遣いまで頂いたこともありました。
気に入った場所があれば、そこでの宿泊。
当然、貧乏旅行ですからお金と縁は有りません。
そこで、寝床は駅の待合室か、駅前のベンチでした。
同じ仲間がその当時はいましたから、さびしくは有りませんでした。
同じ様な寝袋が駅前の草むらに並び、首だけ出して隣の仲間と★を見ながら語ったものでした。
ただ、貧乏旅行とは言え、移動手段と寝床は無料で確保したといえ、食料はどのようにするのかは考えました。
当時、若者達は今と違い旅行はお金を使わないが当たり前でした。
宿泊はユースホステルでした。非常に安い金額で宿泊が出来ました。
当然、私よりお金を持ってる若者ー女性が集まってます。
そこに、狙いを当てました。

あと 幾つ寝ると?


この前のホワイトデイーのお返しがお弁当でした。
普段食べられない2段重ねのお弁当で上官は大変ご満足の様子?

しかし、あと幾つ寝ると、今度はごまかしは聞きません。
バレンタイデー、ホワイトデイー

そして 上官の何十歳の誕生日です。年齢を明かすと、上官に逮捕されますので
ご勘弁してください。
それにしても続きますね。頭の中が混乱しますよ。
それならば、まとめて一緒にすれば省エネでOK?

とにかく、後幾つ寝るとですよ。
言葉が一番と思い、「おめでとう、誕生日」と、やさしく、セクシーに話しかけたって、
何十年連れ添った夫婦ですから、そんな手は通用いたしません。
この前は「ホワイトデイ」2段弁当だったから、3段弁当に格上げでOKかなと
思ったりしましたが、結果は、食事のお預けになると思います。

どうして、だんだん弱くなっていくのでしょうか。男性諸君は。
結婚前は相手が小生のことをすべて受け入れてくれました。
しかし、時間の経過と共に、立場が変化しました。
やはり、この世は女性で成り立っています。
老齢近いご夫婦の夫の行き場所は哀れな存在です。
昔、濡れ落ち葉などの言葉がありましたが、今はどうでしょうか。
世の中は省エネ、リサイクルの言葉がはやってますが、男どもの行き先は省エネでもなく、
リサイクルでもなく、要するに何にも役に立たない品物ですかね。

さて、つまらない愚痴はこれぐらいにしましょう。
さーーー
あと、幾つ寝ると。。。。。
頑張ります。

ふるさとの思い出ーーー4

北国の子供達の冬。
遊びはスキ、スケート、鎌倉など限られてます。
ついつい、家の中に入ると、怖い父の一声、「子供は、外で遊んで来い」
家の中のストーブのそばに猫のようにまーるくなってる姿を父に見られたら、大きな声が
家の中に響きます。
当時はもちろんTV、ラジオも有りませんでした。家の中の暖かい場所はたった一箇所。
それが石炭ストーブです。
ストーブの口から燃え盛る石炭が真紅色に変身する様子を黙って眺めてるだけで幸せな
気持ちになりました。
本当に真っ黒な石炭が真っ赤に燃えるなんて子供心にも感心しました。

当時は、子供は外で遊ぶことが当たり前でした。
学校から帰えると、かばんを投げ捨て、友達のまつ公園へと急いでいきました。
当然 近所のグループです。そこには、がき大将が仲間を集め、子分の面倒を
親身になって見てくれました。
そんな、グループがあちこちに自然発生致します。そうすれば縄張り意識での
ケンカが起こりました。自分の面倒見ている子分がいじめれれたら大将が体を張って
仕返しに行きます。
まさに親に代わって自分達を守ってくれました。
そこから、大人のルール、知恵などを教わりましたね。

皆さん 雪合戦は見たことはあると思いますが、力いっぱい相手に対して握った雪球を
投げつける遊びです。
当時は、グループごとの遊びの中で雪合戦をしましたが、死に物狂いでした。
なぜなら、固めた雪球を水で凍らしておまけにその中に小石を入れて相手てめがけて
投げつけます。
顔などに当れば血が滲む事は度々です。
そんな恐ろしい雪合戦を当時は当たり前のようにしていました。
血を滲ませて家に帰っても、親から問いだされても転んで怪我をしたとうそをいってました。子供同士の遊び、ケンカには親が立ち入る事は出来ないルールでした。
今の時代とは天と地ぐらいの差がありました。

やはり、、、、、、


5年前に健康診断。
先生いわく、-メタボです。「体重10キロ落としなさい。そして高血圧、糖尿病の一歩手前。」検査結果の数値を前にやさしくアドバス。
わかりました、暴飲暴食はしません。体を動かし、健康的な生活を送りますなどと先生に
言いましたが。。。。。。
それから、5年の月日が過ぎました。
あれから、一回も健康診断に病院を訪ねてません。
先生と名が付く職業は生まれつきの性格からか嫌いな性分ですね。
其の間は、明日には明日の風が吹くなどと、妙にいきまいていましたが。。。。
やはり60何年ですから色々体のあちこちからお呼びがかかり始めました。
そんなやさき、新人の社員が「経験20年のベテラン」糖尿病とわかりました。
小生の体のことを上官から聞いて、糖尿病の試験器具を自宅から持参いたしました。
家庭で自分で糖尿病の数値がわかる機器です。
器機の先が注射針があり、それを指先に刺し小生の血を取り出し、検査薬浸せば数値が
その場でわかる機器です。
その結果、、、288----高い数値。
糖尿病の範囲です。
いやはや、参りましたね、
糖尿病から発展する合併症が恐ろしいとの事。
失明、足の切断、、、、、、

数値を確認しながら、一回り成長した我輩のおなか周り、
体重も80キロ弱。重たいです。5年前より8キロオーバー
上官がTVを見ながらやせる体操、食べ物、健康生活と色々な情報を頭の中にインプット
してるのを笑ってみていましたが、わが身のことに関り始めました。
さー どうしようか。
明日から、上官のチェックが入ります。
5年間の付けがまとめてきました。
明日から上官への敬礼を心を込めていたしましょうか、、、。
上官に3歩下がって「敬礼」

ホワイトデイーのプレゼント


14日のホワイトデイーの上官へのプレゼント。

悩みますね。この年になると、上官の欲しいものはといえばーーーー

本当に頭に浮かんできません。

とにかく、何かを考えなければ、本当にゲンサマと立場が逆になります。

リビングから時々上官の甘い声が聞こえてきます。

もしや、小生にと、-----

しかし、ゲンサマに向かって甘い声をやさしく話してます。

小生の出番はありません。

そんな上官にどんなプレゼントをしましょうか。

とにかく、デパートへと足を運びました。

いや、すごい人並み。デパ地下はケーキ、お菓子、などなど。

カタカナの名前のお菓子類が「今からでも、ホワイトデイーに間に合いますよ」の呼び込みのお兄ちゃんの声でどんどん売れていきます。

参加は気後れして出来ません。ただ見るだけ。こんな世界があるなんて感心するだけです。

ホワイトデーイと書かれたプラカードが狭い売り場にあちこちに眼につきます。

早く、帰りたいと思ったが手ぶらではーーー

上官の顔が浮かんできました。

いつの間にか足は弁当売り場へと。

其の中で目に付いたのが、このお弁当。2段重ねの春らしいお弁当。

いつもは500円前後ですが、よし、今日はホワイトデーイだと訳のわからない理屈で
買いました。
値段は1350円です。

上官はどんな顔をするのか楽しみに帰宅。

上官の前にお弁当を広げました。

きれいな色彩のお弁当が2段。

にっこり。「美味しそうなお弁当」ね。其の日の夕食は仲良くお弁当です。

「お父さん、美味しかったわよ」上官のお褒めの言葉でほっとしましたね。
ホワイトデーイに60代夫婦のお弁当を囲んでの夕食。

思い出の記念日です。

ずっとこの作戦で行こうかなーー

建具ショウルーム


この写真は秋葉原の大建ショウルームです。
床、ドア、収納などの実物が展示されてます。
アドバイザーがプランからの建具などの相談に乗ってくれます。

大変便利がいいものです。

さて、現在 ほぼスケルトンの大型のリフォームの相談を4件受けてます。

家全体の間取りの変更、設備の一新、など細かい打合せが有ります。

今までの経験状、必ずショウルームでの打合せ、確認を致します。

カタログでは分からない本物を手に取れば、色彩、使い勝手など具体的に
解りますので、お互いに理解が出来ます。

お客様と建具のショウルームから、照明のショウルームへと行きました。

自然灯、蛍光灯、LEDの違いを目の前で見せてくれましたので、各部屋の
使用別によりどの照明が良いのか良く解りましたとお客様が述べてました。

百聞は一間にとの言葉が有りますが、本当にそうですね。

やはり、施工途中でのトラブルを無くすためには、最初の打合せに時間を掛ける事が
大事です。
お互いの思いをしっかり結ぶためには、細かい事まで打合せが大事です。

いよいよ、4月から大型リフォームがはじまります。

耐震、設計、設備、建具、照明 職人との打合せが全て、完了致しました。

後は、完工後にお客様から笑顔を頂くためのスタートです。

ここは?


昨日は、4月着工のお客様と建具、建材のダイケンショウルームへ打ち合わせ。

場所は秋葉原。

日曜日ですが、人、人です。肩が触れ合うばかりの混雑です。それも若い人ばかりです。

何か 小生は場違いな場所に迷い込んだ気持ち。

それにしても、どこから何を求めて集まるのでしょか。

家電ショップのビルがあちこちに眼を奪われるように立ち並んでます。

店先には、いわゆる呼び込みでしょうか、プラカードをもって道行く人に声をかけてます。

そんなかに、初めて目の前で見ました。

癒しけいのお店。「ご主人様、お帰りなさい、何とか、、、、」

其の制服で、チラシを配ってました。

TVでは画面で見たことがありますが、目の前で見たのは初めてです。

写真をと思ったのですが、やはり周りの目が気になりました。

娘より一回り若い女の子に

「お帰りなさい。ご苦労様、ご主人様」などといわれたら、どうしましょうか。

頭の中での空想でニヤニヤしてたら、突然上官の顔が出てきました。

額から汗水が。。。。。。。

早く、上官が待ってる我家に帰りましょうか。

故郷の思い出ーー3


長い冬が、終わりを告げるのは4月後半である。

白い雪道が、日差しの暖かさにだんだん汚れ始めてくる。

雪の下に隠れていた黒い土があちこちに見え始める。

もう少ししたら、春。

長い冬眠生活から目覚めた動物のようにまぶしい太陽と久しぶりの対面。

そして、雪国の春の到来の象徴である馬糞風が飛び回る。

乾いた土の上に落とされた馬の糞が太陽の光で乾燥して、春風と共に
飛び回る。
当時は、荷物の運搬に馬ゾリを使用した。馬は足腰が強い荷物専用の道産子である。
バス、車などは少なく、馬ソリで重たい荷物を運んでいた。
我々子供は、当然後ろから黙って乗り 足の代わりで遊んだ。 

馬ソリの上に腰をかけ、馬糞の匂いを感じながら、まぶしいお日様を見上げた。

子供心にも、春の息吹が感じられ嬉しくなった。

「春よ来い、春よ来い、歩き始めたミーチャンがおんもに出たいと待ってるよ、、」