休日に

どこかで見た顔です。 新聞で

「8月15日に国家を考える集い」

に始めて上官殿と参加しました。 それも15日に開催 果たしてどれぐらいの参加者がいるだろうと興味がありましたが 会場は満員でした それも入場料を払っての参加者でしたね。こんなに人が集まるんだと感心。我々70代半ばの夫婦はやはりこの国に生まれ 育てられての今日まで何か恩返しをしなければとひびたびたび思ってましたが新聞の広告で偶然見つけた国家を考える集いの題材に惹かれ参加

また 高市早苗経済安全担当大臣のフアンでありますので 初めて猛暑の中参加 初めて生の彼女の演説を聞きました。やはりテレビなどでブラン管で聞く彼女の声 動作などとは違いました。ある意味テレビなどより実際見る力が大事だと思います。また それぞれ年代などで考えが違うのは当たり前ですが 何より自分の力で直接行動してその時何を考える力がやはり必要とつよく感じました。

それと 間もなく次期総理大臣の選挙が始まりますが 今回は議員のあらゆる道徳べき問題の欠如が招いた問題を彼らが本当に己の心に国民を裏切り 猛省をしてるのか その底には彼らを選択したのは我々国民です。我々にも反省すべきことが大いにあります。その責任の一端は我々にも当然あります、このままでは寂しい国家になるでしょう

年代が年代であれば暴動が起きても仕方がないことだと思いますが 今の国は果たしてどこにさまようのか   終着駅が見えないまさに迷える羊たちの群れでしょうか

 

 

 

国家を

到着しました。

洞爺湖の近くのモダンなホテルに到着 少し高めな料金なので一部屋に4人の家族が宿泊  少し 安くなったのかな

それにしても館内はモダンな芸術作品があちらこちらに これは?

館内を見てから食堂に いや レストランというのかな

 

色々な料理が目の前に

当然これは?

みなさん 想像してください

 

 

いかがですか それにしてお皿はモダンですごいね

取り合えず  乾杯ですよ 上官殿

子供たちは 満足ですか

おなかがびっくりしましたあ。

そういえば最初に今日の料理の説明書を渡されましたが

まるで魔法の言葉があちらこちらに

部屋の写真が最初ですが 順番が間違えてましたが 変更の操作方法がわかりませんので このままです 失礼しました

ここから室内の様子です

写真が一枚混ざってましたが 記念の場所でのパチリですので消しませんでした

レストランの名前は ルミエルかな 間違ってたらホテルの人にごめんなさいね

食事後 支配人にお願いして 記念の写真を パチリ

大変 申し訳ありませんでした

先日 「会長 ブログ楽しみにしてましたが お休みですか」と聞かれました。 ごめんなさい 操作方法が頭の中で消えてしまいました。ごめんね そんなことで 学校の後輩に手取り足取りで教わった結果が 皆さんが見てるブログです。

 

忘れる時間はお覚える時間の10倍ぐらい早いです 一歩歩けば すぐに忘れる 70代後半の小生のこの頃です

サア 頑張ろう

前のブログは 小生の生まれ 育った 狸小路市場で涙をこぼしたお話でしたね

その続きは今回から

そのあと 次の引っ込した住所に。やはり 小学校時代の住まいは 公園のすぐそばにあり 最初の住まいの環境の悪さを考え 両親は 学校の目の前 おまけに 中島公園もすぐ目の前

ここなら悪童の道に迷い込むことはないだろうと両親の考えで 公園の入り口の前で 中学生半ばまで育ちました。

 

中島公園は 札幌の街の南北の南のほうにあり この道の北側に札幌駅です。駅と公園は一本の道で結ばれてます。」

まずは現在 小生が通学した中島中学校は消えてました 当然ですね 65年前での建築ですが やはり寂しいですよ

そこで 懐かしい公園内を見学  見つけましたよ

豊平館

明治時代に建築された文化財に負けない建物

 

内部には当時の家具 美術品が展示されてました

この場所で思い出は あります 忘れることはできない思い出 確か 10歳ごろ 親に頼んで買ってもらったグローブ 当時は高価な物でした

ある時 兄弟3人で公園の片隅で野球を楽しんでた時  一人は キャッチャーで球を受け あとの二人は ピッチャーと外野手 つまり兄弟3人で野球のまねごとをしていた時 自転車に乗って 我々兄弟の野球を見学していた若者が 「俺がキャッチャーをしてやるよ」の声に我々兄弟はうれしくなり バッターとピッチャと外野手になり 思い切り バットを持ち 遠くに球を飛ばすことに夢中になり 珍しく遠くまで球を飛ばして べースを一周して 本塁に向かうと なんとその若者の姿は消えていた。そして 彼はグローブをもってどこかに

まさか 小学生3人が大事に使っていた宝物をもって消えていたとは信じられなかつた。

何が何だか わからづ 泥棒にグローブを取られた

この公園です。世の中に泥棒がいるんだとは始まてわかりました。ああああ ため息が出ます。

嫌な記憶が浮かんできました。

 

サア 札幌の思い出の後をしっかり残して 最後に

おやじ おふくろありがとう

また 父親のわがままを聞いてくれた わが上官殿 娘 息子 ありがとう

始まりました・

過去の概念を壊し 新しいオリンピックへのスタートのセレモニー しかし  あちらこちらから様々な意見が飛びましたね しかし 当然ですが  今回はフランスが開催国 この国が予算を立ててオリンピックを開催しますね 何事もすべての人が満足することは難しいです。

頑張れ 頑張れ フランス

そして エッフェル塔が生き物のように踊りだし 生命の輝きを世界中に届けとばかり 人間の心に届けと叫んでる。東京オリンピックで例えれば スカイツリーが命を得て喜び 踊ってる姿ですかな

フランスといえば 革命が起き 王朝がつぶれ 多くの国民が自由のため ルイ王朝を倒し 国民の意思で国は成り立つとばかり世界の国はそれぞれの立場で民主主義を立ち上げた。

途中 フランスの歴史を表す場面が出てきましたね すごいですね さすが

そして

有名な歌手がなんとエッフェル塔から全世界に聞こえるとばかりに素晴らしい歌を歌いあげる場面には驚き さすがフランスと感心しました。

日本でいえば 誰でしょうか スカイツリーの場面で 世界の人に向かって歌う歌手はいますかね もしかして嫌着物姿で歌えば素晴らしいですよ

そして なんと気球と一緒に聖火が天に向かって高く上る場面はすごかった

このオリンピックの開催式の場面に驚きました

次から次へと 魔法の世界に引き込まれましたね

 

途中 眠つていた エッフェル塔が目を覚まし ビーム光線を放ち始め もしかして たちまち悪人をやっける場面であれば最高です

ウルトマンもその光線には負けました

当然 ゲンちゃんもびっくり

ビーム光線か ゲンちゃんのわんわんか

どちらもがんばれ

とにかく 庶民を魔法の国に連れてってくれたフランスはさすがおしゃれな国でした。

そのおかげで 夫婦は毎日オリンピックの話題で楽しい時間を送ってます。 もしかしてこれは魔法にかかったのかと思ってますが 果たして。。。

しかし いつの日か 魔法が解けたら 日本の国のつまらない日々にがっかりしますね

 しばし さらば わが故郷

親父 お袋 ありがとう

今度はいつになるのかな?

小生にとり この市場は聖地です。やはり 戦後の混乱期に 屋根裏での生活はそれも家族そろっての生活は非常に中身の濃い日常でした。この市場で生活する家族はみんな兄弟であり親戚であり すべて すべて一つの船に乗り大海原を進む小舟でした。その市場が今でも生き続けてる。今でも命の営みがある。うれしいことです。

さらば わが人生の命の源よ

 

帰りは 札幌テレビ塔に 大通り公園の真ん中に今でもひっそりとその姿が見えます。

 

この景色は いかがでしょうか 夏には公園のあちらこちらに名物のとうきびを売るおばさんのお店が 焼いたとうきびを口の中に なぜか北海道の大地のにおいがしました。

おばさん お金 これしかないんだよ 小生が出した10円玉2枚 でも でも 大丈夫だよ 食べて大きくなってねと 言ってくれたあのおばさん ありがとう

みんな みんな 家族でいたあの時 人と人がお互いいたわり 相手の目を見てすべて伝えたあの時代 人のにおいが感じました すべて人と人との心の会話がありました。

兎 追いしかの山 小鮒釣りし かの川 夢は今も廻りて 忘れ難き故郷

何処にいます父母 恙 なしや友がき 雨に風につけても 思いいずる故郷

雨に風につけても 思いいずる故郷

志を 果たして いつの日にか帰らん

 

 

今でも 変わらない故郷

 

73年ぶりに宝物を見つけた

言葉も文字もいりません

ただ 立ちすくむ小生

時間は 立ちまち 73年前にタイムスリップ

神様が見ていたんですね 鉄扉の入り口の門を すぐそばで薬局してる主がカギを探してくれて いよいよ開門です。涙がにじんできました

両側が長屋で この狭い道幅に生活道路で多くの戦後引き上げて人々の足跡が聞こえてきます

そのうち近所の人が駆け付け 話をしてくださいました。

 

両手を広げれば 真向かいのお店に手が届く距離ですが だから みんな親戚のお付き合いです。

説明してくれてるご婦人は 80代半ばで戦後のこの市場のことを知ってました。

まるでトンネルの中に長屋があり 当然 喜びも苦しみも分け合い 助け合って戦後の苦しみもみんなの協力で日々生活をしてきました。

おやじとおふくろのおかず屋はどこかなと 小生の貧しい記憶を探しましたが」答えが出てきません やはり 当時3歳の子供の記憶はどこかに ただ この場所でみんなに声をかけられ怒られて暮らしていました。

 

現在では建築不可の場所にお互い肩を寄せ合って生きてきたんですね

すべて1階はお店 そして生活寝る場所は 屋根裏です

あああ こんなところに親子で生活を。。。。。

もしかして このお店が おかず屋ですよと 指をさされた場所は現在 朝鮮料理のお店です

当然 73年の月日の間 お店もどんどん変わってますが

このお店の屋根裏に親子で住んでいたんだと思うとやはり涙が

見えるよ おやじとおふくろの姿が 聞こえるよ おやじとおふくろの声が

本当jにありがとうございました

 

市場の前で 案内をしてくださいました近所の方と記念写真を一枚 この方々がいなければ市場の門は開けることはできませんでした これも 父 母と神様のおかげです。

ありがとうございました

合掌

いよいよ  ドキドキ

狸小路だ  懐かしい 久しぶり 74年ぶりだ

帰ってきたぞ おやじ おふくろー

戦後間もないころ ベビーブームで76年前 生まれた小生

中国から 身一つで引き揚げた親父とおふくろ まずは食べるため 田舎に出かけ その日の食料を手に入れ 何とかその日暮らしの毎日 そして 両親のたくましさで縁あって狸小路におかず屋の商いを

今から74年以上前に 狸小路市場に店を開くことができた。果たして 果たして 小生の故郷はあるのだろか 74年前であるから 当然 建物も古くなり消えてるかもしれない

かすかな淡い期待をもって 一歩一歩 前進 心臓がパクパク

 

狸小路は両側が商店街が札幌市を横断するように長く伸び 戦争の空襲などの被害が合わず そのままの街並みが残ってる

市場はどちらの方向だろう

確か こちらのほうだと思うが 74年前の記憶を思い出し

両側には狸祭りののぼりが

 

途中 小生の仲間と会いました  頑張ってね

いよいよだ 残ってるのかな

えっ   えっ

もしかして

この看板は

狸小路市場だ

神様 ありました ありがとうございました

にぎやかな商店街にひっそり ひっそり 戦後77年から もしかして小生を待っていたのかもしれない

親父 おふくろ 帰ってきたぞ

見てくれ 故郷に 妻 長女 長男を連れてきたぞ

市場の両側には鉄の扉が なかには入れません

何んとか中に入ってみたいが 無理だろうな

この奥に 道幅2メータほどに両側に18軒ほどの長屋の店があった。当然食料品の店だけで なかにはどこからかわからない商品も並べられていた すべて戦争から引き揚げて住民が 食べるために日々商いを また 長屋であるので2階屋根裏は 人は住めない空間であったが 我々家族は はしごで屋根裏に 裸電球が一つぶら下がる下には 万年布団が 当然 トイレは長屋の片側に一つ それを住民 みんなで使っていた

薄い床下から 両親のお客とのやり取りが遅くまで聞こえてきたが やがて子守唄を聞いてるようになりいつしか夢の世界に

今回の旅行のきっかけは娘からの一声が始まりであった。

お父さん 今度家族で旅行に行こうよ

えっ みんなとなれば孫たちはまだ学校だろう

いや 山口家だけだよ

君たちの家族は?

大丈夫 お父さん中心でいいのよ 孫たちも一緒に行ったらお父さん楽しめないでしょう

胸に響きましたね

うれしい 子供たちの計画が今回の札幌の小生の生まれ故郷札幌の旅行になりました。なぜ 故郷なのかな やはり間もなく77歳に そして5年前に癌に そして体中の故障も また 会社を継いだ息子のおかげで一安心 そんな時に娘からの一声に 生まれ故郷を見たいと思い今回の旅行に

また 1泊目は札幌ですが2泊目は洞爺湖ですが なんと」上官殿と知り合った洞爺湖が2泊目です ありがたいですね

 

故郷 札幌で 思いがけないプレゼント

東京から2時間 到着 まずは 荷物をかたずけて

なか なか クラシックなホテル

今回の旅行は 一部屋にみんなで過ごすことに決めてました。狭い中でも家族ですのでいいです。

荷物の整理が終わった時 子供達から 我々夫婦に プレゼント

えっ?

緊張しながら包みを開けてみれば  なんと

思いがけないプレゼントだ

 

 

腰の痛みで 歩く時にも  ゆっくり ゆっくり

それを知った子供達から

健康器具

それも 片手で 痛い場所に これを当てれば

痛いの痛いの どこかに 飛んでいけ

早速 実演してみれば

ブル ブル

うわあ 最高だね

子供達からの有難いプレゼント

よし  頑張るぞ

実はこの後 今回の旅行の大きな目的地に 行くぞ

どこかな 楽しみにしてください

故郷に我々夫婦と子供達と64年ぶりの帰郷

長男 長女 そして 我々夫婦の4人で 小生の故郷に  子供達にはそれぞれの家族が当然いますが 今回は 小生の希望を子供たちが聞いてくれて 山口家だけの故郷への里帰り

さあ 羽田空港で沖縄の娘と会うことができ 出発だ

腹がすいては戦ができないと 高級魚のお弁当

 

到着 わが故郷札幌 東京へ家族で引っ越ししたのが 小生12歳の時

指で数えれば64年前 うわあ うわあ すごい大昔だ

一番の決心はこの年齢で 故郷を見れるのは今しかないとと思い 子供たち  上官殿が賛成してくれての今回の64年ぶりの里帰り

到着後の小生のうれしそうな顔

 

 

まずは北海道で食べる最初の料理は 当然お寿司です

 

ワンダフル 小さい時は高級なお寿司はどこかに飛んでいきましたが 家族で食べるお寿司は美味しいです

そのあとは レンタカーの店に

今回は2泊3日の旅行ですが子供達が順番に運転を

サア  始まるぞ

64年ぶりの故郷の思いで旅行ですが 実は今回の旅行の大きな目的があります。

その目的が達成できれば 神様 お願いします・ 合掌

次回をお楽しみに

 

靖国神社御霊祭に

昨日は靖国神社の御霊祭り

戦争で亡くなった御霊を我々がその魂に対して頭を下げる日です。

国を守るため 我々を守るため命をささげた彼らを忘れてはならぬ事です。

その日を忘れぬため 全国から慰霊者の遺族が参道の両側に提灯を奉げてます。

今日は主だった仲間と参加

久しぶりに息子と一緒に

やはり似てますね

 

弊社の提灯が飾れてる前で

10年前に一つで参加

今では 山口建設の提灯が

最初は一つからスタートしましたね

まずは彼らのおかげで存在しますね

合掌