すごい人がいるんですね。昨日のTVで無人の駅を含めて、私鉄、国鉄、都電、市電など駅と証されるところを全て廻り、そして必ず駅の改札を出ることで、全ての駅
確か、9600駅を訪問した人物が放映されてました。
父親に人ができないことをやれと言われ、50代半ばからのサラリーマン生活をしながらの全国駅訪問。毎週土、日曜日、そして休日等全てを宛てての偉業。
使ったお金が400万。また、感心する事は、駅の改札を出たら、次の時間までの短い間、駅の写真を撮影、簡単なスケッチなどして、次の列車に乗車。
観光なんて考えもしていない。ただ、全国全ての駅を訪問するだけに時間を割いてきた。毎年、新駅が50駅ほどできるらしい。時間表のページの上えに小さく掲載されている。それを見つけて出発。おなかがすいたら、各地の駅弁を食べると、思っていたが、そんな贅沢はせずに、おのぎり、カシパンで済ませる。
8年の間での訪問で一度も駅弁を食べていないと話していた。
「何のためにするのですか」との質問に仕事だけで人生は終わりたくない、
私の場合は全国の駅を踏破することに生きがいを見つけましたと嬉しそうにインタービュウに答えていた。
その時の、嬉しそうな顔がまぶたに浮かぶ。
仕事以外に全てをかけて夢中になれるものは何かあるだろうか。
残り少ない人生に仕事以外のチャレンジを見つける。
頑張ろう。
高校時代の友人
先日 高校時代の友人2人と夕飯の時間を作った。
昨年 高校時代のクラス会の幹事の役目で、知り合いのJAZZライブの店で25人ほど集めて開催した。内訳は8割が女性、残りが男性であった。男性の形見の狭い事、また、話題の少ない事など十分な時間が取れないので、男性だけの集まりを持つべく、声を掛けた。たった、2人だけである。寂しいかぎりである。
男 60歳を過ぎると、髪の毛と共に、足元も薄くなるらしい。仕事を離れ、時間のもてあましと共に、家庭、社会、そしてお金まで縁遠くなってきた。
存在価値がなくなる傾向でアル。それであるのか、このごろ、田舎暮らしと証して、見知らぬ土地での自分自身の再生を図ることに生きがいを見つけようと考える輩が増えている。そんな時必ず反対の旗を揚げるのが、永年連れ添った妻、別名
上官である。60代での仕事からのリタイア、その後の人生、いや 時間の過ごし方が問題である。
先日の友人2人は、一人は大手の出版社を定年退職して、午前中は図書館、午後は
妻の父親の介護をしている。もう一人はコンピーユウター会社を同じく定年退職して、一週間のうち2,3日は友人の仕事の手伝いである。
いずれにしても、酒が進むうち、こうやって外で酒に酔いながら、利害関係のない話がいつまでできるのか、体のことを考えると心配となって来るとの話しが出てくる。
小生はどうあろうか。
まだまだ、前進のみである。命の続きの孫 2人誕生、そして、新人3人の入社など、ゆっくりしている暇がない。
朝は 柴犬ゲン様のお供、会社では社員の先頭に立ち、やかましく怒鳴りながら、
真夜中に起き、色々と悩み事に頭をクラクラさせながら、眠れぬ時は深夜の一人酒、隣室からは上官の寝息とかいびき、付き合ってくれるのは、げん様だけである
お客様が応援してくれる間は、このような日々が続く。
嬉しい限りである。
黒柴ゲンの一日
12歳である。人間で言えば60代のおじさんである。今では、我が家、そして会社の一員です。朝起きると、散歩は小生の役割である。30分ほどの散歩であるが、その間、5,6匹のお犬様と飼い主に出会う。本来、柴犬は日本犬であるため、簡単に他の犬と仲良くはならない。向こうから、尻尾を振ってきても、うなり声をだし、相手に飛び掛ろうとする。そんな事が度々起きるので、このごろは相手を避けて散歩している。たまには、向こうからげんちゃんのお父さんと呼びかけられるが無視することに決めている。そんな散歩が終わると、上官「我が女房です」が作った朝食を食べる。それから、上官が洗面所で身支度をしていると、その前で座って待っている。そして何のためらいなく、上官と一緒に会社に出勤である。
会社の階段を急いで上がると、社員全てに朝の挨拶を鼻を鳴らしながら体を摺り寄せる。それから、彼の指定の場所に座る。その場所は会社の入口である玄関に腰をすえながら、外を見ながら、怪しい来客には吠えまくる。
上官の帰宅の時間までその場所で番犬をしている。
娘が残していった宝物が、黒柴のげんでアル。
電車の優先席
用事があり練馬から地下鉄に乗車した。
昼間であったが、席は半分ほど埋まっていた。小生は優先席と称される席に座っていた。やがて、とある駅で電車が止まり、ドアから2人ほどの10代後半の女の子が
乗車してきた。1人は手にコップを持ち、ストローで冷たい飲み物を飲みながらの姿である。大きな声で話ししながら、小生の前の優先席に着席しようとしていた。
いまはやりの洋服であろうか、中々表現が難しい。派手なカラーの洋服であることは間違いない。思わず、昔の娘の姿とだぶってしまった。
他の席は空席なのに、今時の子は年寄り優先席の意味がわからないのかと思っていたとき、もう一人の連れ合いの子が彼女の手を引っ張り、一般席のほうに誘導し始めた。「どうしたの、席が空いてるいてるジャン、隣に座れば。。。。。」
手を引っ張れた娘は、訳がわからず大きな声を出しながら、しぶしぶ席を立った。
入口近くに立ちながら、未だに何で何でと話ししている。
手を引っ張った子は彼女の耳元で何か話して、指先で優先席の表示を彼女に見せている。それでも、空席のだから、どこへでも座っていいのだと思っているらしい。
2人の女の子が同じ場面に遭遇してのそれぞれの判断。
人生でも、様々な場面に出会い、また色々な人と出会い、その中で何を学ぶのだろう。眼が2個有り、また耳も2個ある。両眼で見て、人の話を両方の耳で聞く。
心は一つであるのだからなおさら難しい。
娘からの手紙
娘から手紙が届いた。中に孫の100日祭のお祝いで写真館で撮影した孫を中心とした娘夫婦と我々夫婦の写真が同封されていた。
娘から、初めてもらう手紙。
「お父さん、お母さん、先日は遠い沖縄まで、ありがとうございました。
おかげさまで無事100日祭を終えることが出来ました。日々大きくなる子供を見ていると、お父さん、お母さんも小さかった私を苦労しながら育ててくれたことがよく分かります。本当にありがとうございます。」
夜鳴き、授乳、寝不足など赤ん坊をそだてる苦労が言葉でなく、実感として肌身に感じている様子である。
歴史は繰り返す。たくましく母親へと成長する娘にエールを送りたい。
頑張れ、頑張れ、我が娘
沖縄での出来事
先日、娘夫婦に会いに来沖しました。必ず、滞在中に沖縄そばの店に行くのが習慣になってしまった。車で5分も移動すれば、街道側、住宅街と思わずこんな場所にとビックリするぐらいな所にも看板が見える。それぞれの店にも味のこだわりがあり、誇りを持って店を運営している。但し チエンー店などは少ない。一国一城の主として家内工業の気持ちで少人数で商いをしている。
全部の店を回るには何年も掛かるかも知れない。そんな楽しみもある。
そんな中、先日あるお店に食べに行ったときのことである。
トイレをする為、席を立ち、トイレの前に行ったが、あいにく中は一杯であったので、外で待っていた。その時 後ろから兄弟らしい男の子が二人並んできた。
小学低学年と幼稚園らしい2人が後ろに並んだが、幼稚園の男の方が小生の横をとうり過ぎて前に行こうとした。思わず 「僕、おじさんが並んでいるから、順番だよ」と
声を掛けた。その声に彼はきょとんとしていた。その時 おにいちゃんが小生を見て「すみませんでした。弟がルールを破りすみませんでした」
そして 弟を見て おじさんに謝りなさいと声を掛けたのであった。
思わず、小生の心の中に感度が生まれて、お兄ちゃんは素敵だね。間違った事を
堂々と受け入れて、謝る事は勇気がいることだね。
その嬉しさのあまりに、順番を譲ってしまった。用事を済ました彼らは傍を過ぎ去る時、2人から ありがとうございましたの声を掛けられた。
間違っている時は、小さな子供でも注意をするのが小生の方針である。
しかし、このような場面には中々出来あわない。
その時の沖縄そばは一番美味しい味であった。
人が味を造り、幸せにする。小さな兄弟に教えられた一日であった。
朝方のJAZZ
弊社の目の前にJAZZバーがある。
3年前にオープンした。脱サラした50代の独身男性が経営している。
閉店したスナックのそのままにカウンターに6人が座れば一杯である。
夜の7時から朝方の5時までの営業である。深夜、店先から住宅街にJAZZの音色が
朝方の太陽の日差しと共に流れてくる。
店主は昔のヒッピーみたいにロングの髪を肩まで伸ばし、近所を自転車で動いている。その風袋から警察の職務質問を度々受けている。
自分の好きな事をして人生を終わりたいと、世間のことなどどこ吹くかんじである。朝、小生と2人で音楽に囲まれながら、コーヒを飲むのは至福のじかんである。
店の名前は JAZZ バーIF「イフ」である。
建築家
弊社で業務提携している先生方は10名程おられます。
設計の先生もそれぞれ得意、不得意の分野があります。デザイン、集合住宅、
一戸建て、二世帯住宅などがありますが、最近 シェアハウスをご希望のオーナーが増えてます。外国では皆さんで個室以外はキッチン、トイレ、浴室、そしてリビング等を共通で使用して家賃の負担を少なくして、友達を多く作るのが当たり前となっている。オーナーにすれば、建築費のコストダウンと利回りの良さで安心できる。おかげさまで弊社で業務提携の先生にその道の第一人者がおられます。
新聞、雑誌、講演などで人気があり、オンリーワンの分野で忙しくしておられます。何の仕事でも、オンリーワンを目指すのが大事である
100日祭
沖縄から帰京して1週間が経過。孫は体重が約6500グラム。重いですね。誕生から3ヵ月で2倍弱の重さ。早いものである。孫と一緒にお風呂にと思い、なんとか、浴槽の中で両手で抱きしめて入った。緊張するばかり。娘と妻の監視の前で30年前を思い出し、ようやく無事に入浴が終わった。翌日は写真館に向かう。まずは孫の衣装選びから。係員の女性から、様々な衣装にくるまれた赤ん坊の写真を見せられる。沖縄民族衣装、袴、紋付、金太郎腹巻など様々な衣装に包まれた赤ん坊の写真からどれを選ぶかが時間が掛かる。2種類の衣装までが値段に入っている。娘夫婦と妻が額を摺り合わせて選んだのは沖縄民族衣装と日本古来の袴と紋付の衣装である。ここまで1時間経過。腰が痛くなってきたが我慢、我慢。それからが大変である。孫を小さな椅子に座らせて 無理やり着させた衣装でカメラに向かってポーズをとらせる。あやしながら、カメラに向かって、笑うようにあやすがうまくはいかない。おもちゃ、音などでカメラの方に目線を向かせるようにしたがうまくは行かない。仕舞いには泣き出す。赤ちゃんには叶いませんね。それから娘夫婦と孫の記念写真。ソシテ我々と娘夫婦そして孫を中心の写真。なんだかんだといいながら写真館を出たのは4時間後。疲れました。孫も帰りの車の中では夢の世界。沖縄の夏は暑いです。
犬の散歩
我が家には年齢11歳の小型黒柴犬-名前はゲン-が同居している。娘の置き土産である。11年前 人気タレントがCMで -名前がわからないが、-抱きながら微笑んでいる姿にうっとりして、「お父さんこの犬飼いたい」とせがんだのが始まりであった。しばし年頃の娘との距離があったので、何とかしようと一緒にペットのお店
に足を運んだ。店内の狭い中に、通路の両端にゲージが置かれ、多数の犬の鳴き声が耳に響く。洋犬が多い。TVのコマーシャルの犬のゲージの前に足を運ぶ。
小さな体と毛むくじゃらくの中に可愛らしい目がなにかを訴えるようにこちらを見ていた。カタカナの名前の種類の洋犬である。
娘はその前から動こうとはしない。この犬と対面した時に気持ちが決まったらしい。
その時、隅のゲージの中から、何か黒いものが動いたのが目に留まった。
それが、黒柴のゲンである。父親の一存で決めた。娘には君は日本人なのだから
日本犬を飼うべしとの命令で熱弁。当然 しばらく娘との冷戦が続いたのは言う前でもない。そんなゲンの朝の散歩を続けて11年。妻と小生の仲介をお願いしているこのごろである。
ゲンの顔写真はホームページでご覧下さい。