あれから2年が   第8回

無事手術が終了

あとは 取り出した組織を調べて それに合う 抗がん剤を作り出し 抗癌剤治療をすすめるだけである

あああ 一安心  もう少しだ

まもなく いろいろな種類の抗がん剤を点滴で 腕から体内に

その 点滴時間は30分ほど その間はベッドに横になり ただただ、じっと バッグに入った抗がん剤を静脈内に注射針で体内に 特に赤の色の薬剤が気になった、

「山口さん もし この色の点滴剤で具合が悪くなったらブザーを押してくださいね」

やはり 抗がん剤は体に悪いのかな

後で調べると 髪の毛が抜けたり めまいがしたり 特には白血球が少なくなり 具合が悪くなるらしいと聞いているが 割合は半分以上の患者が苦しむらしいが

小生はどうなのか しかし無事症状は出なかった。看護婦さんが 「珍しいですよ 良かったね」

然し やはり少ない小生の頭髪がいつの間にか抜け出て来ました。ほとんど坊さんみたいな頭が鏡の向こうに見えて来ました。

抗がん剤恐るべし

あと 少しの検査が終わり 抗癌剤治療ができる体と判断ができれば退院できる

然し がんの完全回復の治療時間は5年である。その間2年間は年数回 通院して検査をする。

つまり完全にがんと おさらばは小生80歳。

うわあ その時 ガンが又 小生の体に顔を出したら、、

その時は手術はしませんね

サア もう少しで退院です。

然し また また、、、

 

 

あれから2年が  第7回

予定の手術時間に間に合った。

ストレーツチーヤに乗せられて手術室に

いよいよ始まる

部屋の中には医者と看護婦

助手の看護婦さんが 何かあったらこのボタンを押して下さいと言われ青のボタンを渡され

ベッドにうつ伏せに乗せられ 先生から手術時間は30分と説明がありました。

同時に手術の内容を話してくれました。

「背中側のリンパを取り出し組織を調べ 高がん治療に適する組織を取り出します。注射針には部分麻酔がありますので痛みが出たらボタンを押して下さい。」

テキパキ説明に安心しましたね

手術台のそばには看護婦さんが付添で なにかあったら言って下さい

「さあ 始めますよ

医者の言葉で いよいよ始まりました

手術前 撮った写真から 外部の医者と連携で 画像を見ながら協力して 組織の位置を確認しながら すすめる。

人生 始めての手術 チクットと冷たい注射針が皮膚に当たりましたが 画像をを見ながらい胃の後ろ箇所のリンパにあるがん細胞を取り出します。

体内にメスを挿入するので時々痛みが響きます。そのたびごとに先生から「痛みがありますか」の声が

もし痛みがであれば そのたびごと 麻酔薬をはりの先から注入する、

医者の親切な言葉に安心して 不安が飛び 予定時間より10分ほどで短く終了

「 終わりました」

その言葉に 入院してからの日々が思い出出され

これで開放されると思い

ついつい先生に向かって

「先生は世界一の名医です」と叫んでしまいました

手術室の先生方もニッコリしてました。

あとは今日取り出した組織を分析して抗がん剤治療の薬を作るそうです。

あれから二年が  第六回

前夜待ちに待った日が明日だだ

思わず ベッドに入っても なかなか寝ることは出来なッた、たしか手術は翌日午前11時だと聞いていたが、、

検査入院して今日で5日間 ベッドに縛られて話すのは看護婦、つまらないTV そして美味しくない朝昼晩の食事

さあいよいよおサバラだと考えると寝ることは出来ず時計を覗いたら午前1時過ぎ まもなく深夜の見回りの足跡が聞こえて来る さあ早く寝よう、、、

翌日午前8時前 看護婦が手術前の体の検査が始まった。

「山口さん 上半身 脱いで下さい」

「えっ なんだよ」思ったが

上半身脱いだ体をジロジロ見てる  なにかあるのかな

「山口さん 腰の周りに赤い湿疹は}

「あれ なんだろうな 気が付かなかった」

「これは帯状疱疹ですね」

一方的に話しして 「これでは手術は出来ません」

おいおい 何を言ってるのかわからない なんで手術が出来ないのか 説明しろ たちまち小生とのトラブル

えっ君は皮膚科の医者ではないだろう どうしてでたらめなことを言うのか

看護婦と30分ほどのやり取り

それでは担当の先生を呼びますから お待ち下さい そして担当の医者が駆けつけて 入り口近くで小生の赤くなった湿疹を見て「帯状疱疹です 間違いがありません 手術日は出来ません」

一歩的な答えに小生は怒りが頂点に 今日の日のため我慢してきた毎日 ただただ早く退院

「先生は内科専門だろう 皮膚科の先生を呼んでこい」

小生の腱膜に驚きいつの間にか看護婦を残し 姿が消えてしまった、

応援の担当医が消え 残った看護婦相手に喧嘩一歩手前の口調で30分のやり取り「分かりました、もう一度先生をお呼びしますからお待ち下さい」看護婦は消え 一人 病室に残された

待つこと30分 一人病室で悶々としながら 昨日 孫達からの応援メッセイジーを思い出していた。

そして担当医と一緒に姿を表したのは青いガウンをきた医者であった。

「山口さん 見せて下さい」

しばらく小生の赤い湿疹を見ていたが

「大丈夫です 手術は出来ます」

何だ これは それでは今までのことは何なのだ

その瞬間 担当医からも  「手術が出来ます」 あれほど 今日は出来ません 予定日をずらしましょうと延々と小生との討論した医者が

まさか  おそらく手術する医者の判断だったのだろう

後で 思い出すが 納得が行かなかったら 文句を言うべし

このあと いよいよ手術室に

あれから2年が  第5回

六帖ほどの個室部屋

入り口近くにトイレとシャワーが設置。奥にはベットがあります。  TV はベット脇にあり、ベットもリモコンで高さを変えることができる、後々 分かつた事はトイレが一人で使える贅沢のありがたさに感謝しました。

共同部屋ではたった一つのトイレをみんなで使えることしか出来ない不自由とカーテンを挟んでお互いに日々を過ごす息苦しさと お互いに相手を気遣う不自由に神経がくたびれて来ます。

本当にがん保険に感謝ですね 上官殿「ありがとう」三歩下がって最敬礼

部屋の正面には大きな窓があり、正面の高層マンションの順番に夜景の部屋の明かりがつけ始めた時、 部屋に命がある証拠、その照明の明かりを見つけたら嬉しくなり 元気の源をもらった感じになりました。

これから まずは 小生の体の検査があります。

体重、血液検査、血糖値、血圧を起床と同時に看護士さんの前で検査。毎日早朝の詳しい検査には参りました。それと上半身の写真を数枚撮りましたね。これも手術に耐える体力があるのかを調査するためと後で聞きました。また 部屋からの外出には許可が必要です。本当に手足を縛られた動物です。

なんだか誰かがいつも小生の行動を見てる 自由に空を飛んでた鳥が巣箱に入れられ、飛び立つことが出来ない気持ちです。この準備が10日間ほど続きます。

まずは検査からスタート、これを毎日ですので疲れましたね。看護婦とはマスク越しの会話。これにも疲れました。たしか六名ほどの看護婦が朝 晩 そして 深夜まで見回りに来ます。

そして看護婦さんがら渡される薬を毎日 朝晩 彼女等の前で飲みます。 その毎日の検査記録が手術日まで続き、手術OK の体の検査で初めて手術日を迎えます。

当然寝る時刻も決まってます。早く退院することを指折り楽しみにしてました。

さあ 手術日までの検査入院がスタート どんな検査が始まるのか不安ですが 仕方ないか

まずは小生の体の隅々まで検査することが完治の始まりと言われましたが

早く 手術が終わることを指折り楽しみにしてましたが

今思い出しましたが前日の夜 孫たちから温かい応援のメッセイジーと 言葉を胸にその日を迎えました。

ようや手術日の朝を迎えました。本当にこの日をどれだけ待っていたのかな、しかしまさかの出来事がその日に発生しました。

神様、、、お願い お願い

 

あれから二年が  第四回

まず 癌専門の病院でしたので 周りの人、全てがん患者ですのでこの病院に 診断、入院の人ばかりですのである意味仲間意識で思わず一緒に頑張ろうと応援した気持ちがありましたね

診察室で初めて担当医者はと面談した

五〇代前後の女医でした。

テキパキとこちらの様子を聞きながら紹介書と照らし合わせて,以前の病院の女医とあまりにも違うには驚いた。よく医者によって患者の運命が違うと聞いたことがあったが まさにそのとうリ

「山口さん 検査入院を一週間ほどします。二日後に入院して下さい」

突然の一方的指示「先生 孫との予定があるので一〇日後でいいです」

「あなたは自分の命が大事でしょう お孫さんとの面談は中止して下さい」

一方的な話に胸の中は医者はいつも偉そうに言うばかりと怒りが湧いてきた。しかし 以前の病院の経験でトラブルを避けるためその支持に従った。

早速入院手続きに向かう

まず 個室か、共同部屋か 当然金額が違うが役に立ったのが保険である。 保険嫌いの小生で妻はがん保険に入っていたが俺はがんにかからないから保険を解約しろと妻に話をしていたが 妻は解約をしなかった。本当に保険は役に立ち その御蔭で個室に入ることができた。

またその時期 コロナが流行り 入院したら身内と面会ができなず 入院期間 誰とも面会ができなかった。

そしてこの検査入院でやはり患者と医者の治療方法でトラブルが発生。

自分の命を自分で守る 当然であるが そのことを守るのがどんなに難しいか

 

 

 

 

あれから二年  第三回

 

ようやく 手術に向かってのスタート位置についた

その方法の説明は

まず 背中側から長い注射針で胃の後ろ側のリンパの位置に向かって針を指し 臓器の一部を取り出し 分析をして抗癌剤治療の薬品を決定。

もし リンパ以外に転移していれば手術が必要になる。

なるほど まずは調べるために検査入院が必要であるとのことが分かつた。

先生の今後の流れを聞き まずは第一歩であると思った。

しかし 後日 先生から

「山口さん 背中側からは難しい]

lえっ? どうしてですか」

「注射針を指した時 大きな動脈がすぐ横にあり、もしかして傷をつけたら大変なので 横の腹側から注射針を注入します」

突然の変更にびっくりしたが 医師の言葉を信じするしかなかった。

そして 、また 手術数日前に電話があった。

「内部で打ち合わせをしたので やはり横腹の位置でも危険がありますので、、、」

言葉が切れて しばらく沈黙があり

「正面のお腹を開腹して 胃を動かして 手術をします。」

これには驚きました。

医者が度々 手術の方法を変更するなど 患者にとって不安しかない

最初にお会いした時 「山口さん 任せて下さい」と言ったことを信じて 今日まで来たのであるが

おまけに手術日は二ヵ月ぐらい先であるとの説明

当然 その間

がんが 進行知る恐れもあり

「先生 なんとか 日時を前に持ってくることは可能ですか」

「そのためには 山口さんから手術の先生にお願いして下さい」

絶句  言葉が出ませんでした。

方法が 二転三転

患者の不安など どこまで分かつてるのか 思わず大きな声が診断室に響いた。

「お父さん 別な病院にしましょう」

< そして上官のアドバイスで セカンドオピニオンとして紹介所を書いてもらった先が癌専門の東京でも評判の病院に紹介所を持ち でかけたのが二週間後であった。>

しかし、、、退院予定日の一週間前に小生は病院をあとにした。

 

 

 

 

あれから 二年が

「ここは胃カメラ専門の病院ですので 大学病院を紹介します」

先生はこのうるさい患者を早く他の病院にと思いすぐに手配をした。その時 小生がもし診断に文句を言わなかったら 胃薬を飲み続けていただろう

早速 渡された紹介状を持参して 大学病院に

病院では改めて MRI で検査した。

担当の四〇代前後の女医に 「やはり悪性リンパですね」と告げられた。そうなれば今後どのようにすすめればいいのか まさにまな板のコイの心境であった。

テキパキと説明する女医にさすが大きな大学病院は違うなと関心した。

まず、検査をしましょう。「山口さんのがんの発生場所は胃の後ろ側のリンパに腫瘍があります。何らかの理由で悪性の変化してがんとなりました。今後のためどのょうな抗がん剤がいいのか調べます。そのため 背中側から注射をして悪性腫瘍の一部を取り出して調べます」

「えっ  先生 それでは注射で背中側から刺すのですか」

「長い注射針で腫瘍まで指して腫瘍の一部を取り出し調べます。山口さんはベットにうつ伏せになっていただければあとは先生が手術をしますので時間は二〇分ぐらいで終わります。痛ければ手を上げてください」

「わかりましたが長い注射針を背中側から胃の臓器までであれば痛みがありますね」

「大丈夫です 部分麻酔でしますので」

テキパキと手術の段取りを話す彼女の姿に さすが大学病院は安心だなと思い 今までの個人病院の先生方の顔を思い出した。 そして 手術日を決めて 帰り道 上官殿とさすが大きな大学病院は違うなと感心して家路に向かったが

今や がん患者が当たり前の時代になり まさか自分がと思ったが全て神様のおぼし目と運を受け入れることと決めたが

まさか それから 病院先生方との戦いになるとは夢にも思わなかつた。

 

 

あれから二年が

第一回

「 山口さん  実はがんです、、、」

「えっ、、私がですか?」

外は夕方になっても まだ夏の日差しがキラキラ 輝き外の風景はまだ熱気が残っていたが まさかこの俺が、、

診察室はまだまだ 患者の息吹が残っていた。先生は机上に置かれた診断書 MRI 撮影写真など 自分に関する健康診断書を見ながら静かに説明を始めた。

先生の話を上の空で聞きながら 記憶を思い越した。

今から二ヵ月前頃、お腹が張り 無理して食べると 苦しくなり 食欲はなくなり 常に胃のあたりが重く 時々吐きそうになった。さすがに 病院嫌いの小生も重い腰を上げて、胃カメラ専門の病院に駆けつけた。

結果は胃の内部の写真はきれいで何も問題ないとの診断であった。帰りには胃の薬をもらい家路に向かったが

しかし 二週間の日が流れても 痛み 苦しみなどお腹の膨張感で苦しみが続いた。先生に今の状態を話ししても 少し辛抱してほしいとの説明であった。しかし この状態で薬だけ飲み続けることに不安が湧き上がった。

そして セカンドオピニオンを考え 次の病院に診断をしてもらったが 以前の病院と同じ診断結果であった。胃カメラの写真を見ながら説明を始めた医者であったが 患者の体も触らず写真を見ながらの説明に怒りが湧いてきた。

そして 医者の診断結果の説明が終わった時 「先生 目の前の患者が痛みで苦しんでいるんですよ、」思わずおおきな声を上げた。夕方の診断室に私の声が響き 看護婦などは思わず仕事途中の手を休めた光景が目に入った。

小生の剣幕に驚いた医者が MRI 検査を勧め近くの機器が揃ってる病院を紹介してくれた。

その検査結果をすぐに大きな封筒に頂き、内科の病院に持ち運んだ。

しかし 机上の診断書に 「悪性リンパ種」の文字が目に入った。信じられなかった。

再び 医者に 「私がですか 本当ですか」 ついつい声が大きくなり 医者は腫れ物に触るように 「ここは大きな病院ではありませんので近くの大きな病院を紹介します」と一言で終わった。

まさか それから、自分の体を守るのは自分だけである事実に初めて気がついた。

そこから 医者と私の戦いのスタートであった

 

 

 

神楽坂で 新入生一年生です

二年前から 習字の勉強に

昔 むかし 学校で集団で学んだ習字

真っ白な紙に 墨で真っ黒に浸した筆に最初の一筆

そう言えば 最初はたしか新聞紙に練習で書いてましたが

いつのまにか両手は もちろん 顔までも墨で 真っ黒に そして服までところどころに真っ黒な墨で汚れてました、

そして家に帰れば 母から怒られましたね そんな思い出があります。

今 七〇代になり 昔を思い出し 月に一度だけ 教室に

気分は最高ですぞ

新入生一年生です

ただ楽しければ いいです。

今から 難しい習字の勉強は 必要ありません

そして 今回は 小生の名前の勉強です

それも朱色で先生のお手本を参考に

そして小生の 名前を 真っ白な紙に書きましたが

どうですか

上官は 今回は?

うわああ 読めません

しかし なんとなく伝わってきます

その花の絵を書いてますよ

アレッ

この漢字は  源太、、、

今 我が家で買ってる柴犬の名前だ

まさか 習字の勉強室で 我が家のかわいい犬の名前を

源太 良かったね

そして何ということでしょうか

似顔絵と その横に

犬の肉球の似顔絵だ

すごいね

まさか 名前と似顔絵とそして足の肉球

よくかけてます

 

楽しくなければ 習う必要はありませんね

バーラが咲いた バーラが咲いた 真っ赤な

音楽教室に行く途中に

バラに囲まれた家が

住まいの正面にも

本当に家中がバラに囲まれての住まい

 

ここまでの手入れなど 大変ですね

 

そう言えば この家の主が 日々 庭の手入れ 正面に植物の手入れなどをしていたのを 時々 見ていましたが

いつの間にか バラのお屋敷に

赤 白 ピンク 青 などのオリンピックのように国際色豊かな満開のバラのオリンピックに

金メダルはどれかな

ついつい 人生はじめての バラに囲まれての記念写真

いかがですか

バラと熟年青年かな