故郷の思い出ー2

冬の札幌。
朝の家の中は、マドガラスからの冷気が家の中に漂ってる。
せんべい布団の足元の湯たんぽは冷たくなってる。

体を震わせながら、布団から飛び出る。
まずは、ストーブに火を入れることが役目であった。前日の石炭の燃えカスの灰を
ストーブから取り出し家の外の道に捨てる。
真っ白い雪の表面に黒すんだ灰がばら撒かれる。。
隣近所の家の前にも同じような模様が描かれる。

そして、ストーブの燃やし口に新聞を入れ込み、マッチで燃やす。
新聞紙が真紅の火に囲まれたとき、石炭を入れる。
真っ黒な石炭と燃え上がる火にしばし我を忘れて見つめる。やがて石炭に火が燃え移り、
赤く燃え始める。
それを、確認して弟達に声をかける。
両親は朝の5時過ぎに店に出かけている。商品の仕入れ、おかずの用意など 朝から
戦争状態である。
弟達の朝の面倒は私一人の役目である。

凍え始めた手をストーブで温めながら、昨日の残り物をちゃぶ台に並べる。
ご飯、味噌汁、お店で売れ残ったおかずなどが並べられる。
其のころ、ようやく弟達の姿がストーブの周りに見え始める。

兄弟3人の朝の食事が始まった。
毎日 同じような朝の食事。それが当然と思い、不平などはなかった。
毎日 深夜遅く家に帰り、そして朝早く店に出かける両親の姿を目の前に見ていれば
何にもいえなかった。

ふるさとの思い出。。。1

なんとなく心の宝物。
眼をつぶれば、雪が、ばそりが、石炭の火が、市電が、雪山が。。。。。。

63年前に北国の札幌に生命が誕生。
戦後、まもなくです。
満州からの引揚者として両親は生まれ故郷の札幌に帰国。

食べるため、色々な仕事に挑戦。
最後にはおかずや。
自分の家でさまざまなおかずを作りリアカーを引き売りさばき、
やがて、幅2メーターの狭い道の両側に小さな店が並び立つ市場の中に
自分の城を構えた。
記憶に残るのは、長屋形式に両サイド10軒に囲まれたお店兼住まいの
屋根裏で過ごしたのを覚えてる。
5歳の子供の頭が屋根裏では窮屈に感じられ、裸電球が暗闇の中に
ぶら下がっていた。
当然、風呂はなく、トイレは長屋の両端に共同で使用していた。
楽しみは、友達といったお風呂やである。
大きな浴槽に身をかがめ、手足を一杯伸ばし、ばたばたさせた。
そして、風呂上り、冬であれば、頭の毛がアットいうまに凍って硬くなる。
何もかも、白黒の世界である。
すべては友達、大人から世の中のすべてを教わった。
誰もが平等。他人と比較などは考えられなかった。
少しのものでも近所の人と分け合って過ごした。
そこで住んでる子供達はみんなのこどもであった。
遊び、走り、動くすべて回り近所の大人が色々な場所で声をかけてくれた。
子供心にも、家に帰ると、怖い父が「お前今日どこどこで遊んでいただろう、
すべて知っているぞ」とぶっきらぼうに言っていたのを覚えてる。
悪いことは出来ないぞと脅されてる気持ちであった。

 おかげさまで有り難う御座います。

近くの行きつけのおすし屋さんとは10年のお付き合いが有ります。

最初のきっかけは昼のランチ。

海鮮どんぶりが880円。デザート。漬物。味噌汁。

どんぶりの上には色とりどりの海の者が踊ってます。

あまりの多さにビックリしてそれからのお付き合いが始まりました。
カウンターに10人座れば一杯のお店ですが、いつもお店に顔を出してる
大将目当てのお客様が多いです。

彼は1年無休です。使用人は休んでも本人は朝の築地への買出し、店に戻ってからの
仕込み、そして昼のランチ、3時間ほどの休息をしてからの夜の板場へとの連続の
仕事が続きます。
深夜帰宅は2時過ぎと、こんな生活がオープン以来15年休み無く仕事をしています。

当然、夏休み、正月は関係なく、もちろん子供達の運動会、父兄参観日など顔を出した事は
有りません。
体が良く続きますね。
そんな大将を見て、少しは休んだらといったことが有ります。

しかし、今、小生が大将並みの日常になりました。
2ヵ月 休みが取れません。
リフォームの大型物件の相談、施工、そして新築と立て続けに目の前に山のように迫ってます。
お客様の方が気遣ってくれます。
それでも、お客様のお役に立てることが嬉しいです。
まさしく、老体鞭打ってのひと絞りです。

お客様の笑顔が体の疲れを吹き飛ばしてくれます。
頑張ります。

真夜中の会話

 目が見えるが故に  人の心が見えない。
 耳が聞こえる故に  人の心が聞こえない。
 口が話せる故に   人の心が分からない。

 目が見えない故に  人の心が見える
 耳が聞こえない故に 人の心が聞こえる 
 口が話せない故に  人の心が分かる。

 人は迷い続ける
 なんと人間は厄介な生き物だろう。

深夜 目が見えないゲンがそばによってきます。
そんな様子を見ながら、心に浮かんだ言葉です。
 

朝の雨の中で見つけました。


いつものように、ゲンサマとの朝の散歩。

霧雨が降る公園には人影はありません。

眼が見えないゲンは公園の中でも用足しの場所もわかりません。

鼻先がぶつからないように、用足しが出来る木の根元まで連れていきます。

霧雨に体をぬらしながら、用足しの場所を探していたとき、

公園の隅の方の桜の木から、なんと桜の花びらが眼に飛び込んできました。

なんと 根元に目立たずに霧雨にぬれている桜の花びら。

人の視線がいく上のほうには桜の花びらはまだ見えません。

本当に、こんな下のほうに人知れず咲く桜。

ゲンが眼が見えたら公園の隅まで足を運びません。

ゲンサマのおかげで今年一番の桜と出会いました。

孫のやけど

昨日、長男のお嫁さんから上官に電話があった。

孫が手のひらにやけどをして、病院に連れ入ったが、全身麻酔で手術をしたほうが
良いと進められたとのことである。
まだ、1歳に行かない子供に全身麻酔とは驚きである。
本人は至って元気な様子。

心配したお嫁さんが申し訳ないように上官に相談してきた。
上官もあまりの大げさな病院、いや 医師の診断にビックリ。

全身麻酔の手術とは、 1歳未満の子供に。

どうしたらいいものと小生に相談されたのが今朝である。

当然 反対した。

それから、しばらくして 息子夫婦から連絡が上官の元に入りました。

他の病院に診察をしてもらった結果、人間本来備わっている自然の治癒力で治りますと
先生に言われたと報告がありました。

同じやけどの診断をして、その後の先生の判断がこのように違うとは驚きです。

本当に、病院も先生もセカンドオピニオン、いや、サードオピニオンが必要ですね。

終わりましたね


ようやく冬季オリンピックが閉会致しました。

連日 TV、新聞などで騒がれてました。いろいろな話題がありましたが皆さんは
どの種目が印象に残りましたか。

そんなニュウスーも少したつとどこか頭の片隅に話題が飛んでいくのでしょう。

ところで、朝のTV で過去のオリンピックで活躍していた選手のその後を放映していました。
国会議員、コーチ、公務員、そして、どこかに消えた選手。

他の国では、優秀な成績を上げた選手にはオリンピック年金を提供していると解説して
いました。
国がスポーツにどれだけ理解があるのかが分かります。

わが国はさびしいばかりです。

華々しく、帰国時に歓迎された選手ですけれど、彼らに安心した未来が待っていることを
望みます。

お雛様ー3月3日


昨日はお雛様。

久しぶりに20代の青年とのデート?

年、2,3回訪れる新宿2丁目に足を運びました。

ほとんどが、ビルの中にお店が合って、怪しげなネオン看板が道路側に並べられてます。

早い時間だったので、ひとの姿はあまり見かけませんでした。

やはり、11時過ぎが本当の2丁目の顔が見えはじめますね。

昔は、木造2階建ての建物があり、外からも仲の様子が分かり、お客同士とマスターの
声が聞こえてきました。

そんな風情は時代とともにすっかり変わりました。

私が顔を出す店はマスターが一人で切り盛りしてます。

カウンターに8名座れば一杯です。

8人のお客をマスター1人で接客してます。

ほとんどがおなじみのお客ばかりです。

ビール、2,3本とおつまみで3000円くらいの良心的なお店です。

ただし、女性は入ることはできません。

そんな店の中にお雛様が飾ってました。

心地良いお店です。

名前はスージ「確かホームページがあると思います」

もし興味があるのであれば一度顔を出してはいかがでしょうか。

念の為小生はそちらの方向には全く興味がありませんのです

それと、彼は私のスポーツジムの先生ですので誤解のないように。。。。。?

介護が始まってます。


おなじみの我家のゲンちゃん。

11年前に華やかにデビュウーしました。

両手に乗るくらいの小さな子犬でした。

それから11年過ぎました。

其の間は我家も大きく変化しました。手のかかる子供達の姿は我家にはありません。
それぞれが世帯を構えて、一児の親になってます。

今でもいるのは、ゲンだけです。

両方の目は見えません。移動するのも、鼻先をあちこちぶつけながら進んでます。

ほとんど、じっとしている時間が多くなってます。

時々、夜中寂しくなると、暗闇の中 あちこちぶつけながら、寝室に来ます。

じっと見つめる様子は何か物悲しく感じます。

健康なときに感じなかった愛情が心の奥くからわいてきますね。

老後の介護。

人間ではないのですが介護の苦労がわかります。

体験しての介護する側と、介護される側の気持ちがよくわかります。

ゲンはお互いの気持ちを教えてくれます。

ゲン、老後は任せてください。

小生と上官の二人で頑張りますよ

無農薬野菜と安全な食べ物


近くに自然素材の食料品が詰まれた車が1週間に一度路上で営業致します。

10年ぐらい前から、この場所で営業してます。

時々、TVで田舎のお店のない場所に車に日用品から食料品まで積んで回ってくる
様子を見たことがありましたが、都会のど真ん中で10年前からお店を開いているとは
ビックリです。

車の両側に所狭しと、有精卵、天然酵母パン、牛乳、豆腐、漬物、そば、お米、マメ、油、昆布、海産物などが並べられてます。
いずれも、ご主人が全て自分の目と舌で確認して、生産者と直接お会いして満足が出来たものばかりです。
手間隙のかかることを20年前からしています。

育てるカタログ。

写真のカタログの表紙に書かれた文面は以下のとうりです。

「私たちは無数の選択の結果、今の品物たちを選び残してきました。
けれど、長く続いているものたちは選んだというより、出合って、お客様がたに
伝えて品物を育てて頂き、それによって私たちも育ったように思います。」

ご主人は自分のお店を持ってます。
このように車で自慢の食べ物を運び、路上でお店を開くことで、気持ちの甘えを
捨てているように感じました。

生きた土が育てた野菜、作る楽しさを耕す食べ物ー晴屋。

お店の名前です。