バースデイーライブ


66歳である。

昨日、雨の中 渋谷のホテル内のライブハウスでかれのバースデイライブが行われた。

暗闇の中でスポットライトに浮かび上がる彼の姿。
後ろにはピアノ、ドラム、ベース、バイオリンの楽器者が控え、彼の歌と共に、ライブハウスに心地よい時間が広がる。

66歳で現役でステージに立つ姿に人生の一部を見た。
音楽の中に彼の人生があり、彼の中に音楽がある。

どこに向かって、彼は歌い続けるのだろうか
どこに向かって、彼は進むのだろうか

答えのない人生を音楽をとうして探し続ける彼の姿に我が身をだぶらせる。
かれの名前は
「六角幸生」
現役66歳のJAZZシンガーである。

沈まぬ太陽


今 話題の映画「沈まぬ太陽」に上官と見に行った。
初日のせいか ほぼ満員である。やはり中年の世代が多い。
昭和30年代の激動の時代を会社の中で生き抜く男の戦いを渡辺謙が演じてる。

大きな組織の中でみんなのためと思い、組合の代表として上層部に働く労働者の
代表として戦い続け、やがて時代の流れの中で翻弄されていく姿を見せている。

会社、仲間、家庭、の中で揺れ動く姿は本当の幸せとは何か。
生きていくために、何かを犠牲にしていく姿。

何を選択すればよいのか。家庭を持った以上、妻と子供達への責任。
そして、仲間への責任。
挫折する仲間、そして裏切る仲間。
それぞれが苦悩のなかで自己の人生を選択し、追い込まれながら自分を納得させる。誰もが悪いのではなく自分の人生の行き方を会社という目に見えない中での
選択。
どこに、自分の人生の行き方を選ぶのかは、現在と違い選択の少ない昭和の時代。

日本が戦争の敗戦からの立ち上がりを全国民が虚脱感からの脱却を会社と言う大きな組織の中でのスタート。
選択の少ない個人の人生。
生きがいなど考えられない時代は到底今の若い人には理解ができないかも知れない。
3時間を過ぎる長い時間をどうすごすか心配であったがあっというまに過ぎた時間であった。
日本が世界の経済大国へとスタートする時代に生き抜いた男の不屈の精神は
現在の薄っぺらな情報にとらわれ、腰の据わらぬ生き方に翻弄されてる我々に対する警告と思われる。
何者にも変えがたい己の生命を何をもって変えられようか。
己の足跡を混沌たる今の時代にはっきりと浮かびだす信念を心に刻むべきだろう。

今年最後のイベント


今年最後のイベントが10月31日、11月1日に開催。

早いですね。ついこの間1月のイベントが終了したと思ったら、最終イベントを
開催することとなりました。

今年を振り返るには まだ早すぎるかも知れませんが
小生の個人的ないイベントは初孫が子供達2人に授かったことです。
初めての体験が二月の間に2度起こり、それぞれの孫をこの手で抱きしめると
命の続きを感じられました。

夫婦二人と犬のげん1匹の静かな生活に新しい息吹が感じられます。
親離れがうまくいっている子供達から見ると小生はなかなかの問題児らしいです。
当たり前のことを述べているのですが、やはり時代の流れですかね。
時代の流れと言う言葉は嫌いですが、上官に言わせれば知恵を使いなさいと
言うことです。

新しい子供達家族との関係は上官の意見を半分入れることで平和な生活に向かって
頑張ります。
そして公的な大きな出来事はギヤラリー絆のオープンです。
夫婦の寝室を取り壊し、絆を作りました。
又、業務提携の先生方も10名になり、そこからさまざまなドラマも生まれてます。

それぞれご相談を受けたご家族のリフォームのお手伝いを通じて皆様の人生のお役に立てられたと思ってます。
おかげさまで、現在大型リフォーム施工中は3件、ご相談は5件抱えております。
すべてのお客様のお顔、又、現場に顔を出させていただいております。

会社を大きくすることはお客様の顔が見えない結果になることはハウスメーカーに
勤務したときいやなほど経験しました。
いいことも悪いこともすべて知るのが小生の役割です。

そんな1年最後のイベントが開催されます。
練馬TOTOショール-ムと弊社ギヤラリー【絆」で2日間行われます。
特に、設計のお二人は選び抜かれた先生です。

無料で設計サービスを行いますので、遠慮なくご相談ください。
手前みその宣伝になりましたことをご勘弁ください。

新築

1年経過致しました。

本当に1年前に初めてお客様とお会いして
リフォームの相談を受けた事が昨日のようです。

2世帯住宅のご相談からスタートして、設計の先生を交えての
打ち合わせが続きました。

図面、模型、概算見積、ショールームへのご案内。

ご両親様と息子様の関係など、色々考えながらの最終設計が
決定したのが夏休みの前でした。

処が 息子様が結婚する事になり、お嫁さんが御仲間入りの形になりました。

そうなると 設計の内容も違ってきます。
ボリュームも当然アップしました。

そうなると、リフォームのお話しから 一段上の新築へと計画も変更です。
お客様の突然の計画変更も弊社では当然喜んででお請け致しました。

ようやく、新築図面が完成致しました。

ご両親様と新婚ご夫婦の夢の新築へのスタートが始まります。
お客様の人生の夢のお手伝いに参加できる事は本当に嬉しい気持ちです。

お客様 ありがとうございます。

感謝、感謝 感謝。

童地蔵


デパートで日本で第一人者の仏像展覧会。

平日にもかかわらず広い展覧会は人ごみであふれていた。

日本のほとんどのお寺の仏像は彼が彫刻。17歳の時 最愛の弟を亡くし、それから40年弱 仏像の彫刻一筋に人生を歩んできた。

現在、製作しているのは10年前に頼まれた高さ10メーターの仏像。

弟子、40人との共同作業。

左右のバランス、目と鼻と口の表情。そして目を入れる開眼。

深夜、誰もいない工房で黙って仏像と向き合う姿。

何を語りかけるのであろうか、多くの人々が祈りをささげる仏像に。

人々の幸せ、苦悩を一手に引き受ける仏像に己の魂を注ぎ、目に見えぬカオスの
世界との会話。
その重圧にどう向き合うのだろう。

仏を作り魂が入らずとの言葉。

亡くなった弟に捧げる果てし無き思い。

そんな展覧会の片隅で見つけた童地蔵。高さ20センチばかりの小さな地蔵。
目と目が合った瞬間に心が揺らぎました。

心の中がみすかれた気持ちになり同時に心の中にそっとしまいこみたい童地蔵。

丁度、我家にも2人の孫が今年誕生しました。
思わず、2人の顔を思い出しました。

もしかしたら、赤ん坊は仏様の生まれ変わりかも、知れませんね。

翌日から 鏡に映る小生の顔にため息ばかりです。

ゲンサマの寝相


我家で一緒に暮らしてから、12年ほど。

今では、いなくては困る仲間です。

ほとんど、子供達と同じ愛情を注いでいますね。特に上官は目の中に入れても
痛くない気持ちですね。

げんの一日の行動は、まず 朝の散歩は我輩の役目、上官が選んだ体に良い
ドッグフォード「値段はかなり。。。。らしい」で食事、それからは上官が
会社の出勤のため洗面所で仕度をしている側に座って、離れません。
なぜなら、上官と一緒に出勤するためです。
会社では 社員みんなに朝の挨拶を一人一人にしてから、会社の入り口に座り、
来社する人にも挨拶をしてます。

夕方の散歩は上官の役目です。
寝室は、リビングの椅子、ソフアー、上官の部屋など、そのときの気分で
決め手いるらしい。
年齢が人間にたとえると70歳ぐらいになると寝相もご覧のとうり、堂々と
した姿です。
我家の仲間、いや 家族の一員としていられるのはいつまででしょうか。

JAZZ


真夜中の演奏。

小生の部屋に飾ってるJAZZ のメンバー

総勢7名の演奏者。

レパートリは古典からモダンまで約70曲。

リズムに合わせて体が動く。

トランペット、サックス、ギター、ピアノ、ベース、パーカッション

それぞれにニックネームがついている。

そんな彼らの演奏はミッドナイトに開始。

もちろん お客様は小生一人。

琥珀色の液体をグラスから口に運びながら、彼らの演奏に体でリズムを
とりながら 時間の中に身をゆだねる。

至福の時だ。

10000人が240000人

霊峰富士。

日本一高い山。日本の代名詞。

昔は霊峰と呼ばれ、登山の時はふもとで体を清めて入山したそうだ。

年間 10000人 道なき道を今では考えられない服装で時間と危険を
抱き合わせながらの登山。途中 亡くなる人も多数いた。

登山という言葉ではなく、神の山に身をゆだねて、神様に一歩でも近寄るための
修練。

現在 年間240000人。
24倍の人たちが現在 富士山に登っている。
交通手段、登山道、服装、登山道具など過去とは比べられないほど進化してる。

目的のほとんどは、、、、、、?

御来光 ただそれひとつ。

日本一高い山から 雲海の中から顔を出す太陽の姿を見るための登山。

老若男女が思い思いの姿をしての登山。途中 富士山管理委員に危険だとして注意される人たちも多数。その辺のコンビに遊びに行く感覚での姿。
週末は登山道は電車のラッシュアワーと同じ。山小屋は当然立っていられない人で
あふれている。
ちょっと富士山に遊びに行こうかの感覚。
やはり救助センターに駆け込む人。

日本一高い山である。
高山病、落石による骨折など 思いがけない体罰を受ける。

御来光を見るための真夜中の出発。
足元を照らす照明がふもとから見ると蛇のように登山道に沿って、動いている。

昔の人たちの霊峰富士から御来光を見るためのレジャーの対象としての富士。

その裏づけが10000人から240000人。
24倍である。
本当にびっくりしているのは富士山であろう。

沖縄


沖縄
この言葉は遠い南国の地名と思っていた。
子供達が4,5歳の時家族旅行で一度だけ出かけた。
娘、弟が沖縄のパイナップル園でカメラに向かってポーズしている写真が
壁に飾ってある。
25年前の写真である。微笑んでいる姉弟の写真が少し色あせている。

そんな沖縄はそれっきりと思っていたが姉の沖縄移住が4年前に我家に台風のように襲来した。
そんな娘に子供、そして弟にも子供と、いっぺんに双子ができた心境です。
遠く感じられた沖縄が身近に感じられた背景には娘の沖縄移住があります。

観光地の沖縄から生活するための沖縄。
本当に1ヵ月に1度の割合に沖縄に足を運びました。
そのたびに、沖縄に移住した若い人と交流が始まりました。

あるとき久しぶりの泡盛専門のお店「もちろんマスターは本土からです」に遊びに
言ったとき、「お父さん、誕生日おめでとうございます」とケーキをプレゼントされたサプライズ。びっくりしました。
又、沖縄でのバラードをうあっている青年とのこちらでの再会。
沖縄の国際どうりの近くで古着屋をオープンしている夫婦

色々な若い人の顔が浮かびます。
苦労しながら遠い沖縄で夢に向かって頑張る姿は嬉しいですね。

こちらで仕事で忙しい間にはなぜかしら彼らの顔が思い出されます。
どうしてでしょうか。
沖縄の自然でしょうか、
沖縄の人たちでしょうか。

同じ日本なのになぜ沖縄にあこがれるのでしょうか。
時々「沖縄スタイル」を見ます。
沖縄の風景が浮かびます。そこで活躍している方々の息吹きが感じられます。

そんな沖縄のことを考えさせてくれたきっかけを与えた娘に感謝です。
娘?
いやはや たくましい沖縄のおばに変身してます。
我家と同じようにあちらの家庭にも上官ができました。
義理の息子よ
頑張ろうではないか

トレーナーの先生


年の差が30歳のボーイフレンド。

男と女であれば問題「うらやましいかな」であるが小生には若い男の

ボーイフレンドが多いです。

彼はそうちの一人の青年です。

お付き合いして3年です。

生まれは九州の小倉。短髪がとっても似合う青年です。 

小生とは1ヵ月に2度ほどのデートです。1時間ほど彼が手取り足取り教えてくれます。こんなわがままな小生のため汗をかきながらの指導してくれます。

おそろいの赤いシャツでのペアルック。似合いますか。

実は彼は小生のトレーニングジムの先生です。

似合いの親子ですか。それとも、、、、、、、、ですか