人生の四季とは

確か中国古来の五行説に 人生の四季を

青春 朱夏 白秋 玄冬と説明されていた。

当然 今 それぞれの年齢により

今 自分は どこかの四季なのか

小説家 五木寛之は

青春は 二五歳まで

朱夏は 五〇歳まで

白秋は 七五歳まで

玄冬はそれ以降と説明していたが

当然季節ごとによりこの世で自分の年齢での役割 考えが違うだろう。

人生後半をどのように考えるべきなのか。

もし 心身とも健康でこの世で求めれれ 仕事 家庭での役割を終える年齢をどのように云うのだろうか

彼は六〇代は収穫期 七〇代は黄金期といっていたが当然それ以降は?

今は一〇〇年時代と巷で騒いでいるが 玄冬の八〇代、九〇代の人生を重ねることが可能であれば それを天命として生きるチカラが必要であると考える。

当然  玄冬の時を迎えてならば 老いても立ち向かう心情が必要であるが その年代までの数え切れない経験と悩み 苦しみ 喜び 成功経験が すべて神より与えられた天命として 明日への糧として 精進する事が必要であると思うが、

75歳以上の玄冬の玄の漢字の意味に

1 奥深く暗い場所

2 奥深く考える

2つの意味がある

つまり 75代以降の年代では 物事を奥深く考え 老いるまで多くの経験と 思考を積み上げる

自己人生を完成するまで 我々は精進しなければならない

 

特に白秋までは仕事 家庭でのこの世での役割に懸命になるに違いないが 最後の年代を迎えた

玄冬   七五歳上の人生をどう考えるのか

「毎年 桜は咲く そして 散る

しかし

次の年も 次の年も

枯れるまで 永遠に 咲き誇り

すべての人々を喜ばせる」

 

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