
沖縄から東京に戻ったのは震災の3月11日から
1週間後 会社の社員の顔を見て安心して お客様への対応など確認
やはり 震災時に不在であったのが心苦しかった
そして その後も 震災の様子など TVの画面で見るたび
また避難の人々の話 被災地での苦労など聞くたび
心痛む思いであった
そして 車に救援物質を積み 妻と2人で出かけることにした。
震災から2ヵ月経過した頃だろうか
宿泊の宿がなかなか取ることができなかった
「被災地の方々も宿泊されてますが いいでしょうか」
宿の案内の言葉であったが なぜ そのような応対をするのが分からなかったが その意味が後ほど分かった。
朝の6時頃 東京を出発 東北高速道路は渋滞 渋滞
そして 目的近くになると 道は 崩れ 陥没で 震災の生々しさがあちこち
宿は 海岸沿いから遠い 山の麓のひなびた温泉地であった
時計を見ると午後6時過ぎ
東京から12時間 流石に疲れた。
「この廊下の向こうは避難された方が宿泊されてる場所です。我々も応援するため 無料で宿泊していただいてます。」
受付での説明で予約を取るときの説明の意味が初めて分かった。
どのように 避難された人に救援物資を渡そうか考えたが
同じ宿であれば 翌日でも渡そうかと考え 車の運転の疲れを取るため 浴室に向かった。
築30年ほどの温泉宿であるので所々に木造建築の歴史の跡が残り 浴室も壁 そして 浴槽も温泉の成分で所々に木々の変化が見えるひなびた浴室で 浴槽から源泉の匂いと共に 硫黄の匂いが鼻をついた。
そして 湯けむりの中 老人と小学生の2人の姿がぼんやり見えた