親父 おふくろ 元気か

お彼岸です

家から15分ほど

父、母に会いに来ました。

元気に暮らしてるか

風邪を引くなよ

 

我が上官殿も

いまはお世話になってます、

息子家族も一緒だよ

孫も こんない大きくなって

今年 中学校

ため息が出るほど すぐに大きくなって

それだけ 小生が年を取ったんだね

今になって 親父 おふくろの気持ちがよく分かるよ

天国で元気で暮らしてね

快気祝に 孫から

 

上官は誕生日のお祝いに

サア サア

来年まで 健康第一に

誕生日を楽しく迎えられるように

上官殿に迷惑をかけないように

神様 お願い

神様 お願い

神様 困ってしましますね

こんなわがままな74歳のお願いは

靖国神社に参拝

桜の標本木が

まだ まだ でした

蕾が 顔を出してません。

その数日後 桜の開花を宣言しましたが

今日は 幹部と 靖国神社参拝が目的

参内者は我々含めて6名

なおさら 神聖な気持ちで宮司さんのお言葉を聞きました

あまりに 通常より親切な言葉に つい つい

「今日の祝詞は素晴らしいですね」

「山口建設さんですね

「えっ」

「そうですが」

「いつも 御霊まつりで 提灯を飾ってくれてますので

覚えてますよ」

偶然にして その神主さんが今日の祝詞を上げてくれてたのは 神様からの贈り物かな

帰りは 小生の書斎に案内

眺めが最高と 感動してました

帰りは 神楽坂のお店で

小生の快気祝いを兼ねて

当然 乾杯

どんどん 飲んで

社長も 部長もピッチが早いね

サア 2次会に

神楽坂の女将さんも お店が終わって

サア 飲もう 飲もう

当然 帰りは どこまで覚えてるか わからない

フラ フラ

部下からの快気祝い  ありがとう

ついに ガンが

3月16日「水曜日」

有明ガンセンターに

去年の10月に 突然 悪性リンパ腫の宣告

言葉を忘れ どうして 私が 私が

遠い世界の話と思い 小説 映画 TVなどで他人事のように 眺めていたが、、、、、、。

目の前に付き付かれた 現実に、、、、

仕事を離れ いよいよ 老後の人生を

健康第一と考え そして 趣味を見つけ

上官に迷惑をかけずと 思っていたが

ガンの言葉ににうろたえ 目に見えぬ不安の世界に

しかし 妻の 支えに なんとか 前に進むことができた、

最初の病院で 医者と病院の治療方針に不安を覚え

セカンドオピニオンで ガン専門の病院に

そして 検査入院 そして 手術 入院

途中 先生との意見違いでのトラブりがあり 上官に迷惑をかけたが 無事 退院

ようやく 外来での抗がん剤治療を3週間ごとの治療を

去年の11月から

合計12回

自宅から 病院での検査 抗がん剤治療

朝早く そして帰宅は5時過ぎ

3月16日  最終検査日

ペット検査 CT検査

その結果は

「 山口さん ガンは消えてます」

「、、、、、、、、 本当ですか」

長かった 長かった

 

思わず 病院隣りの公園で

ありがとう ありがとう

上官殿

3月16日は 君との熟年結婚記念日だね

被災地訪問。。。2回

湯けむりの中 70代の老人と小学生と思う孫と2人の

姿が見えた。

この時間の入浴は おそらく 地元の避難者と考え

声をかけた

「地元の人ですか?」

突然の声に少しびっくりして

「いやあ この宿に避難して来たんです」

「どちらどちらからで

すか?」

洗い場から 体を少しこちらを向いた顔は 疲れた様子で

「海岸から離れた場所でしたが 家が少し壁がひびが入っただけで安心してましたが それから数日後 突然、、」

湯けむりの中で見える老人の小柄な体はおそらく 自然相手で鍛えられて力強く見えたが 頭が禿げ上がり しわくちゃの小さな顔が疲れたように見えた。

「村の連絡の無線から 突然すぐに避難してください。

村の避難道路は 徒歩で歩く人、車で逃げる人など

狭い道が避難する人であふれるようでした。

まさか 原子力発電が津波で壊れてるとは知りません。

私たちの街が放射能で汚染されるとは、、、、、」

横にいる孫の顔を見ながら 弱々しい声が浴室の源泉が流れる音と混ざって聞こえてきた。

小生は次の言葉が出なかったが

「奥様は 同じ宿に泊まってるんですか」

「 最初は同じ村の人と一緒に避難場所でしたが

次から次と避難場所が変わるたび いつの間にか5,6人と、、この宿まで6箇所変わってます。疲れました、

そして 婆さんは具合が悪くなり 緊急で病院に

いまは 孫と2人だけです。」

後で分かったことですが 放射能避難地から避難した老人とお孫さんとの出会い、、

 

被災地への、、、1回

沖縄から東京に戻ったのは震災の3月11日から

1週間後 会社の社員の顔を見て安心して お客様への対応など確認

やはり 震災時に不在であったのが心苦しかった

そして その後も 震災の様子など TVの画面で見るたび

また避難の人々の話 被災地での苦労など聞くたび

心痛む思いであった

そして 車に救援物質を積み 妻と2人で出かけることにした。

震災から2ヵ月経過した頃だろうか

宿泊の宿がなかなか取ることができなかった

「被災地の方々も宿泊されてますが いいでしょうか」

宿の案内の言葉であったが なぜ そのような応対をするのが分からなかったが その意味が後ほど分かった。

朝の6時頃 東京を出発 東北高速道路は渋滞 渋滞

そして 目的近くになると 道は 崩れ 陥没で 震災の生々しさがあちこち

宿は 海岸沿いから遠い 山の麓のひなびた温泉地であった

時計を見ると午後6時過ぎ

東京から12時間 流石に疲れた。

「この廊下の向こうは避難された方が宿泊されてる場所です。我々も応援するため 無料で宿泊していただいてます。」

受付での説明で予約を取るときの説明の意味が初めて分かった。

どのように 避難された人に救援物資を渡そうか考えたが

同じ宿であれば 翌日でも渡そうかと考え 車の運転の疲れを取るため 浴室に向かった。

築30年ほどの温泉宿であるので所々に木造建築の歴史の跡が残り 浴室も壁 そして 浴槽も温泉の成分で所々に木々の変化が見えるひなびた浴室で 浴槽から源泉の匂いと共に 硫黄の匂いが鼻をついた。

そして 湯けむりの中 老人と小学生の2人の姿がぼんやり見えた

あの時から11年

あの 東北震災から 11年

当時 小生は 沖縄で 孫を抱いて

偶然 TVに流れた震災の画面に呆然と 体も心も固まり

まさか  この世とは思えない光景が目の前に

、自然を 建物 巻き込み 破壊する津波が 画面に

信じられず

会社に連絡をしたが 繋がらず

あれから 11年

未だに 故郷に帰ることができない人々が

町民 家族が バラバラになり 知らない土地で 過ごす 彼らの心情

まだ まだ 震災は終わってない

 

 

 

 

 

もし、、、、

まさか いま

たった一人の独裁老人の考えで

多くの罪のない人の命が日々 亡くなり

国を追われ 知らぬ土地でさまよう戦争が

起こるとは想像できませんでした

もし もし

日本が他国との紛争に巻き込まれたら

当然 国を守る リーダが必要でしょう

しかし 平和の中で 過ごした戦後75年

全てを手放し 言葉で平和が永遠に続くと思った政治家がどれだけいるのでしょうか

もし もし

その時 我々が直面するような出来事が起きたなら

どこに逃げればいいのでしょうか

日本は周りを海に囲まれ 脱出するためには

船 または 飛行機しかありませんね

当然 多くの人命が失われるでしょう

TVで国を追われ 他国の国でさまよう彼らの姿を

見てると

いつの間にか 自分の姿とダブリます

我が国を守るためには 何が必要か考えることが

必要です。

 

 

戦争と平和

老人が戦争を起こし

若者が死んでいく

こんな言葉を思い出しました。

過去 世界を騒がす戦争があり 当然 戦場で多くの若者が命を失いました

その度 平和の言葉が飛びますが いま また同じ過ちが

起きてます。

それも 一方的に他国の領土に軍事力で侵略

そして 民間の建物 民間人までも 兵器の矛先になってます。

一人の老人が戦争を起こし 多くの人の命が失われてます。

それを止めることができない虚しさ

昔の 日本の大本営 ドイツのヒットラー ソビエトのスターリンの顔が浮かびます・

戦争からは憎しみだけしか残りません。

74歳の年齢の世代に コロナも含めて 早く平穏な時代に

なることを祈ってます。

 

 

いつもの行動ですかね

神楽坂

小生を待ってる 太郎 ゲン

小生のマスクを彼らに

風邪に気をつけtね

いつも彼らに自然にする行動ですかな

口直しの甘いものを

一緒に食べようか

当然 健康のため

健康茶ですかね

 

彼らの前に置いて

サア サア

一緒に 食べよう

 

ワン  ワン

嬉しいいですか

おまじないの行動が終われば

サア 原稿に向かって

スタート

追記

「ひとりの男の考え 行動で全て決まる」

今 現実に世界で起きてる出来事に対して

考えること。

怒り 行動 などなど

伝統工芸品展で

全国から 職人の伝統技術の工芸展が

東武デパートで

実は滋賀県で 神社仏閣の彫刻などを

代々してる3代目の職人と6年前に知り合い

会社の看板の彫刻を依頼

その縁で 東京に来るたび 小生と

この竜の彫刻

会社の看板にも 竜が天空を飛ぶ姿を

制作してもらいました

その縁で 今回は音楽教室でお世話になってる

豊玉音楽教室の看板を依頼

校長先生も 小生と同行で

 

そして 彼が持参した下絵で

教室の入り口で現場調査

ピアノ 校長先生の似顔絵が

これで出来上がったら 素晴らしい看板が

生徒さんが 増えるのは 間違いないでしょう

彼のパワーが その後

ドラマを

すごいね そのエネルギーで

素敵な 作品を頼みますぞ

地元 滋賀の工房で 素敵な作品ができるでしょう

頑張れ 頑張れ